第二十四話 セーリングを思い出す

   
   

かつてヨットはセーリングを楽しむ為の乗り物だった。だから当然ながらヨットの進化はセーリング性能における進化だった。船体のデザイン、キールデザイン、セール、舵、デザインばかりでは無く使用素材の進化に伴ったそれらの進化はより速いスピードを求める事も当然ながらスピード以外にも発揮されてきた。いわゆるパフォーマンスの向上です。

しかしながら何処からか進化は便利と快適性への方向を目指していく事になります。キャビンの拡大、装備品の拡充、GPSやオートパイロットが当たり前になり、さらに近年では大きくなったボリュームの為電動ウィンチやバウスラスター等も増えてきています。これらはより少ない人数でしかも楽に動かせるようになった事は間違いないのですが、同時に我々の意識はセーリングそのものから離れて快適性を求めていくようになってきたのではなかろうか? 誰でも容易にヨットを動かす事ができる。これは良い事には違いないが、一方でセーリングの面白さやセーリングの妙、フィーリング等に対する意識が減少してきてはいないだろうか?

人は慣れるものでありその備えられた快適性にも当然慣れてくる。という事はさらに何か楽しい事を得られなければ飽きてくる。ならば旅をしよう。旅はいつも何か新しい事をもたらしてくれます。ところが旅には相応の時間が必要になる。その時間がなかなか取れない。取れたとしても目的地があって帰りの日程があって、そうなると急ぐ旅になるかもしれない。旅の醍醐味は時間に縛られない事。そうなると尚の事時間が取れない。それでそのヨットで近場でのセーリングをすると、たいした事は無いと慣れた人には思えるかもしれない。そしてヨットはマリーナに繋がれたままとなる。

そこで昔を思い出してみよう。ヨットが今程簡単では無く装備も不十分だった頃、でもみんな夢中にセーリングを楽しんだ。スピードもさることながら、安定性とか波たたきとか、上り角度とか、フィーリングとか、舵捌きとか・・・・・. 便利で快適な装備なんか無かった。でも、楽しかったし、工夫して面白かった。

セーリングは奥深い。慣れる事は慣れるが、慣れたらそのもっと奥が見えてくる。見えたらその奥を探りたくなる。そしてまた慣れて、また奥へと進む。このセーリングの奥深さが継続という意識を惹きつけてきたのではなかろうか? 快適性は良い事です。でも、それにつれて失ってきたセーリングへの意識をもう一度取り戻す事はできないだろうか? セーリングを主にして快適性を従にする。これは自分の意識を切り替えるだけです。 これが簡単そうで簡単では無いかもしれません。

よし、今日はセーリングを目指すぞと自分に喝を入れる? その意識を今日一日だけでも持続する。セールを展開して舵を持ちながら風を見てどう走らせるかだけを考える。風に対して上りギリギリの舵操作をしてみる。そこからタックしたり、角度を落としたり、そしてその時の自分の感覚はどうなのか?もう一度セーリングというものをやり直してみてはどうだろうか? 楽しさや快適さはまた別の時にやれば良い。今は兎に角セーリングそのものを純粋に味わう事に専念してみる。それは面白さ求める事だと思います。継続を促す要因は楽しさでは無く、快適性でも無く、面白いと思うかどうかではないでしょうか?


目次へ      次へ