第二十五話 練習という遊び


      

練習と聞くと、あまり良いイメージ無いですよね。何だかしんどいとかつまらないとか、そんなイメージが浮かんできます。でも、練習じゃないセーリングって何?セーリングは遊びが練習になるし、練習が遊びでもあると思います。練習は面白い遊びです。但し、意識がセーリングと伴にある遊びです。

初心者の頃は誰もが練習をし、それを楽しんできたと思いますが、ある程度乗れるようになると練習をしなくなります。取りあえず乗れるからですが、それ以上にはなりたいとは思わない。何故なら、レースに興味は無いし、それならセーリングを探求する必要が無い。それより、誰か誘ってピクニックをとか、どこかに旅をしたいとか、その方が楽しそうです。でも、そうそうそんな機会がしょっちゅうあるわけじゃ無いので滅多には乗りません。たま〜に宴会するも、飲むと車で帰れないので、ヨットに泊まる?そうはいかない人も居ます。

ある程度乗れるようになったら、もっと上手くなりたいと思えるには何かが必要です。レースに興味のある人は練習する動機はあるでしょうが、レースに興味の無い人はどうするか?セーリングにはこの具体性が無い。そこが課題だろうと思います。あらゆるスポーツが相手との勝ち負けが目標にある。上手くなって勝ちたい。少なくとも良いプレーをしたい。でも、ヨットの場合はみんなレースに出たいわけじゃない。

セーリングに上手くなったら何があるのか?これを具体的に説明する事は難しい。何故なら、目に見える成果というものが無く、感覚的なものだと思います。何度も書いてきましたが、より多くを感じる事ができる。ヨットとの一体感とか自由自在感とか、そういう曖昧な事になります。

でも、知らなかった事を知るとか、気づくとか、できなかった事が出来る様になるとか、そういう事って嬉しい事だと思います。余裕とか自信とか、自由自在感とか、そんな事しか言えませんが、それって結構セーリングに対して満喫しているという感じが湧いてきます。それは誰かを誘ったピクニックでも存分に発揮できる。より楽しませてあげられる。

また、上手くなるというのは、知識や技術ばかりでは無く、心の持ち方にも影響があって、例えば、良い風では無い時でも、そのゆったり感を不満無く満喫し味わう事ができるようになると思います。上手くなるというのはより速く走れる事では無く、あらゆる状況のセーリングをあるがままに楽しめるようになるという心の持ち方が変わる事ではないかと思います。

こんな曖昧な事、ヨット界の主流になるはずが無いとは思いますが、でも、実際にやると気分が良い。良い風吹いて快走して気分が良いのとはまた違うニュアンスがあり、ヨット全体に対して気分が良い。吹いても、吹かなくても気分が良い。気分が良いからまた乗ります。たくさんの事を解っている自分に気分が良い、できる自分に気分が良い、洗練されて行く自分の感性に気分が良い。永遠のマイナー的セーリングかもしれませんが、でも、やれば、大袈裟に言えば別次元の楽しさ、面白さがあると思います。これを総称して美しく走らせると言ってます。自己満足? 自分が満足するなら、それに越した事は無い。何かの役に立てようなんて野心はありません。自分の人生に、日常とは異なる、もうひとつ特別の世界を持てる。

もちろん、レースやクルージングという世界でも良いんですが、純粋セーリングというマイナーなジャンルでも、それができると思う次第です。デイセーリングにおける練習は、そのものがフィーリングを求める行為です。それが遊びです。遊びが練習です。セーリングするだけで、意識がセーリングにあれば、それが遊びであり、練習にもなっています。天才は練習しなくても上手いかもしれませんが、天才はセーリングを楽しむ事はできない。上手くなる過程こそが面白さであり、それが永遠に続きます。

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