第二十六話 結果を求めない


      

そもそもセーリングはレースとは違って目に見える結果を求めるものでは無いと思います。計器を使いますが、何ノットのスピードが出たかを競うわけでも無く、旅とも違って、どこどこに行った事があるというのもありません。セーリングとはその独特のフィーリングを自分の中に取り込む事だと思います。

そのフィーリングは自分の知識や技術に寄っても感じ方が違うだろうと思いますし、その時の気分や対応の仕方に寄っても違うかもしれません。それは何処かを目指すと言うより、様々な状況でどういうセーリングになるか、また成していくか?緊張の高まったハイスピードも良いし、ゆったりも良い。どっちも楽しめる様にしたいものです。

結果を求めると、その求めた対象以外のセーリングそのものを純粋に味わえなくなる。これが私の結論ですが、では、何を楽しむか? それは様々な状況でどんな感じ、どんな味わいを得たか?それがテーマだと思っています。吹けばどんなヨットだってそこそこ走ります。吹かなければどんなに速いヨットだってスピードは落ちます。その風頼りのセーリングで、競争も移動も無いセーリングで、何を楽しむかは、あらゆる風のあらゆるフィーリングだと思います。

吹く時、吹かない時、どちらもセーリングには違いない。そのどちらにもより良いフィーリングを得る為に知識と技術を向上させ、その練習の結果、自分の感性が洗練されていきます。最終目的はこの自分の感覚を磨く事であり、その事によってより多くを味わう事ができると思います。

6ノット、7ノットと上がって行けば誰だって楽しむ事ができますが、でも、ゆったりした静かなセーリングも楽しいとかエキサイティングとか言うのとは違うニュアンスのフィーリングをグッドフィーリングだと言える様になる。微軽風から強風まで、それぞれのセーリングをあるがままに味わい、グッドフィーリングだと感じれるようになる。その為に知識と技術を磨き、感性を洗練させていく。それがセーリングを楽しむという事になっていくのではないかと思います。速いのは面白いですが、それが絶対条件では無いという事です。

これはセーリングの結果を求めるのでは無く、完全な受け身となって、その時々のセーリングの味わいをそのまま受け取るという態度です。だから、良い風吹いて欲しいなんて願っていません。今日の風はどんなかなと思う程度です。そして、何度も乗れば、微風もあるし、中風も、強風も、いろいろありますから、セーリングのトータルを味わい、感覚的に自分の中に取り込む。

これはレースやクルージングとは全く異なる態度です。ある特定の結果を求めないし、期待もしない。そういう態度ですから、あらゆるセーリングをあるがままに味わえるのだと思います。良い風を期待すると、良い風の時しか楽しめなくなります。でも、それだけがセーリングでは無い。セーリングのあらゆる面を探索しようと言うのがセーリングを楽しむという事だと思います。

こういう態度は達成感を味わいたい方には物足りないと思います。でも、セーリングに対するこういうアプローチの仕方もありだと思います。これこそ純粋な遊びでは無かろうか?

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