第十九話 理想としてのセーリング


      

上手くなるという試行錯誤のプロセスはとっても面白いと思いますが、そのまた先にはまた違うセーリングがある様な気がします。それはある意味理想と言っても良いのではなかろうか?何も目標等無く、従って、それに頑張るでも無く、ただ、今日のセーリングをあるがままに味わってくる。そういう心境になれる事が理想です。

まだまだ老け込む歳ではありませんが、歳取ったら、写真の様な、静かにセーリングを楽しむ姿、良いな〜と思います。写真の老人も若い時はセーリングを考え、セーリングを探求し、試行錯誤を重ねて、自分のセーリングスタイルを見出す処に面白さを感じてワクワクしながらセーリングを探求してきたかもしれない。或いは、あっちこっちへの旅やレースを満喫してきたかもしれない。でも、どこかで気持ちが切り替わって、ただセーリングを味わってくるだけで良いという気持ちが芽生えた。

ワクワクしてセーリングを楽しむのは面白いし、何らかの探求をするのも面白い。それはそれで良いとして、そこを過ぎて行った時、心境の変化が表れて、何かを求めるのでは無く、何かを期待するでも無く、ひたすら受け身になって味わうという事、最後はこれかな〜と思ったりします。

微軽風も強風も経験してきて、本当はどれが良い風なんて無くて、いろいろあるからいろいろ楽しめる。もはや今日の風に何も期待などせずに、今日の風をそのまま味わってくるだけで良い。これが理想的セーリングであり、そういう心境になれるのが理想的セーリングマインド。是非、そうなれたらと思ったりします。そうしたら、本当の意味でのセーリングを心から楽しめるのでは無かろうか?そんな時、最も感じるのはセーリングの質という事になるのではなかろうか?



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