第四話 ヨットの旅は移動か?


      

写真はデイセーラーのセーリングですが、彼らはセーリングを楽しんでいるかもしれないし、短距離であれ、旅的な要素を楽しんでいるのかもしれません。セーリングはヨットならではの操作や動きを知的に楽しみ、旅はゆったり流れる時間を楽しむ。

旅は移動だと書いた事がありますが、それは一方的な見方で、移動と考えればボートの方が効率的となり、それでボートに切り替える人達も少なく無い。しかし、単なる移動では無いと考える事もできます。それがたとえエンジンで走るにしても、ヨットならではの情緒感があります。ゆったり流れる時間です。ヨットの旅は時間がかかると考えるのでは無く、時間をかけるという感覚です。

博多から長崎のハウステンボスまで約80マイル、ボートで走れば3,4時間ですが、ヨットなら十数時間かかります。しかも、途中に潮流のきつい箇所があり、潮止まりの時間も計算しなければなりません。それがボートならその必要は無い。だから、ボートの方が便利です。効率的結論ならそれで御終いです。

しかし、ゆったり流れる時間を楽しむ。潮流だって、その時間に合わせるという考慮さえも楽しみのひとつとして捉える事もできます。時間がかかるから途中でどこかに寄ってとも考えられます。これらは非効率と拒否する事もできますが、逆に、そをが楽しみと考える事もできます。仕事じゃ無くて遊びなんですから、何を、どう楽しむかはそれぞれの考え方、価値観次第で変わります。そう考えると、必ずしもボートの方が良いとは言え無くなります。

圧倒的にボートの方が多いわけですが、このヨットとボートの根本的違い、それは理屈的結論による違いだけでは無く、我々の感性、情緒、好き嫌い、知性、そういうものをおおいに考慮した方が良いのでは無かろうかと思います。何故なら、遊びだからですし、遊びの根本はそこにあると思います。我々は効率、非効率で物事を判断する傾向が強いのですが、遊びは必ずしもあてはまらない。

従って、ヨットの旅は単なる移動では無かった。レースもセーリングも単なる理屈で割り切れる程、我々は単純では無い。理屈の部分に加えて、情緒的、心理的、知的な心理も含めてこそが遊びの本質ではないかと思います。上の写真を見て、何を想像するか?それが自分の価値観だと思います。私なんかは、個人的にとっても羨ましい情景に見えます。

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