第26話 遊びと仕事

仕事は善で遊びは悪。悪とまで言わないまでも、比較的に言うとそれに近い認識があります。
仕事に大金を投資して、事業を拡大しようと努力し、その行為を善とみなし、遊びに大金をつぎ
込んで追求しようとする行為は浪費とみなされます。人間は生きる糧としてお金が必要なので
すから、それを求めるのは勤勉であり、遊びはお金を生みませんから、生きるという糧からする
と反する行為になる。

仕事と遊びは全く反対の位置にいるのでしょうか。何の為に仕事するか。生活できるという程度
ならそれほど必死に働く必要は無い。でも、もっと良い生活がしたいというのがある。良い生活
とは何か。大きな家、高級車、それこそヨットを求めるかもしれません。でも、それらは遊びの部分
なのではないでしょうか。遊びの為に遊ばないで仕事をする。どちらか一方に片寄ってはどうかと
いう気はしますが、もっとバランスを考えた方が良い。

必死で仕事して、成功して、大金を稼ぎ出し、死ぬ間際に俺はこんなに大金を稼いだと満足して
死ねるなら、これも良い。でも、死ねば、そんな事は全て無になる。いかに稼ごうが、名誉を得よ
うが、たかだか80年程度、大金稼いだ人が他人より2倍長生きできるなら、これは話は別ですが
皆同じです。人生は80年という歴史の中でどれだけ楽しんだかという事ではないでしょうか。その
プロセスが大切なのではないでしょうか。楽しむというの表面上の快楽ではありません。いかに
充実した人生かという事です。

仕事と遊びの両方にバランス良く、両方を充実させる事を考えたらいかがでしょうか。仕事は遊び
を可能にし、遊びは仕事をする人間にあらたな活力を与えます。どちらか一方ではいけませんし、
その両方のバランスをうまく取ることでお互いがお互いを支える。遊びも快楽では無く、深く探れる
何かを、好きな何かをもっておいたほうが良いですね。

一体誰が遊びは悪と呼んだのでしょうか。みんな遊びたいのに。誰が仕事を善と呼んだのでしょう
か。みんな楽しみたいのに。本来は善でも悪でも無く、そう思っただけ、思わされただけ。ある行為
が楽しく仕方ないなら、それは遊び、でもその行為でお金が稼げるなら仕事。名前が違うだけ。
遊びでも仕事でも追及していけば楽しい事もあれば苦しい事もある。仕事を投げ出せば悪と呼ばれ
遊びを投げ出せば他人は無視するだけ。でも、自分の中では投げ出した行為は同じ。

要は自分の人生を充実させる為に大いに仕事して、大いに遊ぶ。バランス良く、悪も善も無く。誰に
遠慮すること無く。おおいに遊ばなければなりません。仕事から学び、遊びから学ぶ。プロセスを
楽しむ。真剣に遊べる人は真剣に仕事ができる。表面上の快楽なんてものは薄っぺらなその場限り
の浮気みたいなもんです。そこから充実感を得る事は無い。

そこでヨットが好きな方には、ヨットを快楽としてだけでは無く、深くはいっていく姿勢を持っていただ
きたいと思うのです。善も悪も無く、ただそれがあるだけ、それを何と呼ぶかによって、人生が決まる。

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