第27話 世界は私だけの為にある

何と傲慢な言い方でしょうか。でも、良く考えてみるとそうなのです。世界中で起こる出来事は私が知る
事によってのみ私にとって意味がある。知らなければ私にとって何の意味も無い。それらの出来事に
どんな解釈を見出すか、或いは誰かに意味を押し付けられるかは別として、最後に持った私の考え方
が、意見を私が変えるまでは、私が解釈した世界です。それを何と呼ぶかによって、私の世界が決まる。

つまり、世界は私にとっては私が解釈する通りなのです。世界は私がどう解釈するかを左右する事はで
きない。私の勝手です。だから、世界は私の為にあるのです。世界中の国々も、出来事も、住んでいる人々
も、豪華ヨットもボロも、全て私の為にある。こう思えば、何とすごい事でしょうか。そこで、私はこの世界を
どう解釈するかは、どうありたいかとなる。

遊びを悪と呼べば、私は遊びを通して学ぶ事はできなくなります。全てから学びたいと思えば、全てから学ぶ
事もできる。ただ、注意を要するのは、私の意見は本当に私のものか?という事です。誰かに押し付けられた
考え方で世界を変えるのは自分の人生を生きていない事になる。他人の人生を生きるなんてまっぴらじゃない
ですか。ですから、私の意見は今の私にとっては正しいのです。でも、常に変化します。それは何を取っておき
何を捨てるかは変化していくからです。それで、他の人が持つ意見も正しい。みんな正しい。正しいから、それ
に従って、それぞれが生きていく。世界はそんな許容範囲の広さ、ふところの深さを持っている。

そこで、再びヨットが登場します。ヨット屋ですから。ヨットをどんな風に解釈するかによって、ヨットはどんなにで
も変化する事になります。ヨットはつまらないと思えば、そうなりますし、ヨットが生きがいだと思えばそうなる。
ここが重要です。ヨットはつまらないものでも、素晴らしいものでも無い。そのものはただの物です。あとは私が
何と名前をつけるかにかかっています。素晴らしいと思えば、その素晴らしさを味わう事ができる。つまらない
と思えば、つまらなさを味わいます。全ては自分次第と言う事になりますね。

私はヨットの素晴らしさを味わってもらいたいと思って、このTALK&TALKを書き始めました。これらは全て真実
です。どうか、自分で確かめていただきたい。考えは入り口ですが、入らないと真実はわからない。人生は経験
ですから、経験は行為によってのみ成される。是非、実行していただきたいと思います。

世界はあなただけの為にある。

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