第六十三話 効率の追求

効率を高めるというのは良しとされます。経済で言うなら、生産性の向上という事になります。しかし、効率さえ高めれば、それで良いのかという問題は残る。もちろん、効率を高める事は重要です。しかし、そればかりを是とすると、理論的に求める事になる。机上の理論になりがち、その理論の下、他の要素はなおざりにされかねない。

我々がヨットで遊ぶ。セーリングを遊ぶ。その時、効率を高めて、それが正しいとされる。例えば、速く走る事は正しいとされる。だから、こうすべきだという理論が成り立つ。しかり、その理論の下、他の要素はなおざりにされまいか?

理論的に知る事は重要な事かとは思います。しかし、知ったうえで、自分流の面白さ、グッドフィーリングを求める。自分の中で、ゲームを展開して、その面白さを求め、理論的にはこうした方が速いとかはあるだろうが、でも、面白さが無いとつまらない。ゲーム展開のプロセスにおいて、効率を求めつつ、面白さも求め、時にはスピードを犠牲にするかもしれない。解った上で、ゲームとして展開する。

人それぞれに考え方も価値観も違う。だから、そういう自分のゲームを展開する上においての効率という具合。だから、いつも効率が良いとは限らない。自分の面白さが減じられてまでする事でも無い。でも、効率を知る事は重要だろうと思います。知って、選択できる事が重要だろうと思います。

ある方、大きくヒールさせて走る事が好きな方、オーバーヒールは承知の上、それでも、大きくヒールして走るのが好きなんですからしょうがない。それをやめて、適正なヒールをしたほうが効率は良い。そんな事は百も承知。でも、それが面白いんだから。

また或る方、一度に4枚のセールを展開して走っておられた。軽風だから、いろいろ試す。良いんだよ、遊びなんだから。自分で何でも工夫される方です。

理論が全てに優先するなら、我々自身も、理論的、効率的、にならなければならない。これは価値観の統一みたいなもの。これが正しい、他はみんな間違いとなる。そうしたら、ヨットはどこか一点に集約されていく。そんなヨット界は面白くもなんともない。

大きなヨットにはその面白さがあり、小さなヨットにはその面白さがある。みんな違って、みんな良いという誰かが書いた詩もあった。それぞれに面白ければそれが一番良い。だから、自分の面白さをそれぞれが求めれば良い。ただ、理論的効率も知った方が良い。面白さの追求の助けにもなるから。あくまで、自分の文化が中心になるべきだろうと思います。

いわゆる反グローバりズム。否、違うアプローチの仕方のグローバリズムとも言える。歴史の浅い国はしきたりや風習では無く、理論で迫る。これは一神教のせいか?理論は正しくとも、人間は常に理論的とは言えない。もっとその国の文化を、個人の文化も大切した方が良いのではなかろうか?これは多神教のせいか?

効率主義は、ひとつのグローバリズム。国内のグローバリズムとも言える。その中核に、効率主義を置いて良いのか? 中核に置くべきは、個人の文化ではなかろうか? ヨットで言えば。だから、いろんなヨットがあって良いし、あるべきでもある。それが自由なのではなかろうか?

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