第二十五話 世界は思想だらけ

仕事という思想があり、遊び、ヨット、クルージング、セーリング、レース、別荘的ヨット、ファミリークルージング、ピクニック等々、いろんな思想があります。思想という言葉は大袈裟な表現かもしれませんが、人の考えるアイデア、大も小も、思想であります。

ヨットに対してもある特定の思想を持ち込んだりします。レーサーというヨットがあるわけでは無く、クルージング艇というヨットがあるわけでは無く、デイセーラーというヨットがあるわけでは無い。ただ、あるヨットを、これはレーサーだ、クルージング艇だと決めているに過ぎません。そういう思想を持ち込んだに過ぎません。

本当は、そのヨットをどういう具合に使えるかと自分で思想を吹き込むというやり方もあります。それは一般的な概念とは違うかもしれません。しかし、良く見て判断するなら、少なくとも、自分にとっては正解となるのではないでしょうか?

一般的な概念という思想、例えば、クルージング艇という思想が、自分の思う思想と合致しているとは限りません。しかし、それには、豊かな創造力が要求されるかもしれません。我々は、こうやって使うものと教えられると、そこから脱するような創造をする事がなかなかできない。レーサーと聞けば、レースに使うものとしてしか考えないし、クルージング艇、デイセーラーと聞きますと、その枠からはなかなか越えられないものです。それが、面白さを限定しているかもしれません。

クルージング艇でレースを真剣にやって良いし、レーサーでクルージングしても良い。デイセーラーで両方やっても良い。ただ、そのヨットを運営していくのに、どういう具合にできるのかが問題であって、それに対応できるのであれば、そのヨットがどういう性能を持つかと、自分の要求がどのレベルなのか次第であります。

つまり、そのヨットが規定されたジャンルは、それを一般的に理解するには助けとなりますが、でも、それが為に枠をはめてしまうという事もあると思います。

かつてレーサーと言われたヨットが、今ではどう見てもクルージング艇にしか見えないという事もありますし、あるフランス人でしたが、フランスからクルージングに来ていたわけですが、そのヨットは
かつてのIORレーサーでした。もちろん、内装は改造されていましたが。

何を言いたいかと言いますと、一般的概念、ヨットに限らず、あらゆる艤装品においても、その与えられた思想から離れて、実質的な使いがってから見ますと、また違う様相が見えてくるのではないか?その方が自分に合うという事もあるのではないかという事です。

概念は役に立ちますが、足枷ともなり得る。だから概念を一旦外して、そのヨットが何であれ、どのように使えるかという方向から見ても良いのではないかと思います。つまり、柔軟な見方を心がける、柔軟な思想を持つのが良いのでは?何故なら、あるヨットはその思想によっては、何にでもなる事ができるから。そうすると、でかいから良い、小さいから良い、速いから良い、遅いから良い、広いから良い、狭いから良いとなり、という事は、思想は単なる幻に過ぎないのかもしれません。
幻であるなら、何にでもなります。自分次第という事になります。

次へ       目次へ