第九十一話 ヨットの効用

ヨットは風で動く。それが最大の効用ではないでしょうか?風次第では速く走る事もできれば、風が無ければ動かない。そして、その風を我々はコントロールしようも無い。完全な受け身です。コントロールできないものは、諦めるしかない。そして、完全に諦める事が出来た時、我々は完全に解放されるのかもしれません。

セーリングは諦めの境地で乗る。その時の風で乗る。

どこかにクルージングに行こうと思いますと、どこどこに、何時にと計画を立てます。計画が綿密であればある程に、計画通りに進めたくなります。でも、風や波は思い通りにならない。ですから、コントロールできるエンジンで走る。そういう事になります。

セーリングするも、快走を期待して、ヨットを出します。でも、期待通りの風が吹くかどうかは解らない。それで、期待値が大きければ大きい程、面白く無い。

我々は、どうも何でもコントロールしようとします。でも、できない事もある。それで、計画が狂う。それが嫌になります。それでは、遊びが遊びでは無くなる。遊びを楽しめない。

ヨットというものは、そういう理屈を端的に教えてくれる。風や波はコントロールできないという事は、誰もが納得できます。ですから、正しい遊びとは、楽しむ為には、計画をしても、期待しても、それに固執せずに、その瞬間瞬間を楽しもうとする姿勢ではないか?

計画があれば、達成したくなります。場合によっては何が何でもとかなるし、或いは、つまらないにもなりかねない。遊びというのは、本来、そういう期待が無い事かもしれません。そのままの状態を楽しめる心の余裕を楽しむ事かもしれません。

でも、快走を期待して、ヨットを出しても良いと思います。しかし、出たら、それに固執せずに、その時にできる最高のセーリングを楽しむように、心を切り替える。最初の期待を諦める。そういう事が、その瞬間を最も楽しめる方法だと思います。それが遊びというものなんだろうと思います。

誰かと宴会したり、ピクニックしたり、快走したり、クルージングしたりが遊びでは無く、何をしても、楽しむ事が遊びで、それは一種の諦めという事かもしれません。どうにもならない物は、さっさと諦めて、できる事を楽しむ。そういう事かな。

実は、受け売りなんです。

オーナーからある本をお勧め頂いて、その受け売りです。

遊びは楽しむ事。その楽しむという事はどういう事なのか? 行動は遊びに見えて、楽しんでいないとか? 行動は辛そうに見えて、本人は楽しんでいるとか?

目標を持たず、期待もせずに、ただ、その場で、できる事をして、それを楽しむ。何をしていても、それができれば遊びなのかもしれません。

セーリングを遊びましょう。楽しみましょう。その日の、その時の風を、そのまま楽しみましょう。吹いた時、吹かない時、そのまま楽しむ事ができるように。いろいろあるさ、てな具合。いろいろあるから、面白い。そういう事になりますね。こころから遊ぶには、柔軟な心が必要なようです。

速く走れば面白い。しかし、吹かない時は面白く無いになります。そしてそれは風次第。ならば、吹く時はスピードを楽しみ、吹かない時は漂うように楽しむ。そういう柔軟な心が必要なのかな。

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