第三十六話 携帯電話

ビジネスには、もはやこれなしでは考えられないくらい、携帯電話は常に持っています。いつ何時、重要な連絡があるかもしれない、と思う時、これなしでは不安にさえなる。そして、ベルには非常に敏感であります。

町を歩くと、誰かの携帯のベルが鳴る。すると、何人かの人が自分のかと思って確認する。そんな姿は、普通に見る光景であります。まるで、携帯電話の奴隷でありますね。便利なようで、こき使われているとも言えます。

ところで、最近ですが、腰が痛くなり、整骨院に昨日行きましたところ、診療室にとおされる前に、ロッカーがあり、そこにポケットの中身を全部入れるように指示される。そして、問診の後、台の上に横になって、電気治療。プツプツというパルスのような刺激が腰に当てられ、何となく良い気持ちになり、眠くもなる。

そこで、気がつきましたね。携帯電話から完全に解放されている状態です。いくら重要な電話があろうが、どうしようも無い。諦めであります。諦めてしまいますと、実に解放されてしまう。携帯電話という非常に便利な機械を使いこなしながら、一方では使われていた。しかし、手放しでしまうと、諦めてしまうと、解放感がある。

そこで、思いました。セーリングに出る時は、携帯電話の電源を切ってしまうという事です。繋がれたラインをチョキンと切れば、陸上で何があろうと、火山が爆発しようと、地震で無茶苦茶になろうと、一切連絡は来無い。一切を諦めてしまう事。そうしますと、解放されます。我がセーリングは誰にも邪魔される事も無い。

携帯電話を持ちますと、どこで何をしていようと、遊んでいようと、連絡という手段がありますので、いつもつながっています。これで、いつでも必要な時には、何らかの対応ができると喜び、これで、遊んでいても安心だと思ったりもします。しかし、実は、そうでは無く、繋がる事で、本当に心から遊ぶ事ができなくなっているのかもしれません。

家族でどこかに行っても、時に電話が鳴ります。セーリング中でも電話が鳴る。便利ですね〜。でも、人は携帯電話に使われています。遊んでいるようで、遊んでいない。電話を使っているのでは無く、使われている。何故なら、遊んでいても、電話が鳴れば、遊びを中断してでも出るからです。

そこで、電源を切るという行為が、気持ちを解放してしまうのではなかろうか? しばらくは、陸上の事は忘れようと意識する事で、解放される。陸上、一切を捨ててしまう。なにがあろうと、諦めてしまう。諦めると自由になれる。電話が鳴っても出ないようにするのでは不十分で、電源を切るという行為に、諦めるという意識が生まれ、解放されるのではなかろうか?

皆さん、今度のセーリングの時は、携帯電話の電源を切ってはどうでしょう。どんな感じなのか?普段、四六時中、携帯電話に頼る方ほど、解放感を味わえるのではないでしょうか?もちろん、そんな時に限って、何か重要な連絡があるかもしれない。そう思う方は遊べない。もちろん、責任はご自分で。

世の中、便利になればなるほど、快適生活をおくりながら、その物の奴隷になりますね。しばられてしまいます。使いこなしているようで、見方を変えれば、物の奴隷になっている。その糸を意識的にカットするというのは、案外、楽しいかもしれません。現代の奴隷解放運動であります。大袈裟ですが、実行するかどうかは自分次第ですが、意識してみるのも悪くない。

セーリング中は何があっても、すぐには帰れない。どうしようも無い。それが、ある種の解放感を生み出す。それなら、もう一歩進んで、電話を切ってしまいましょう。これで完璧であります。遊ぶという事は、何か特別な楽しさがあるというより、自分を解放する事で達成されるかもしれません。特に、ビジネスに忙しい方には、お薦めでありますね。もちろん、自己責任で。

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