第十七話 矛盾

人は楽を求めます。でも、何かをしたがります。最も楽なのは、何もしないで、ごろりと横になって、テレビでも見ている事です。でも、それでは退屈になりますので、何かをしたくなる。そして行動しますと、今度は楽をしたくなる。だから、その行為がいかに楽にできるようになるかを考えます。

人間というのは所詮、怠け者なんでしょうね。いつも楽をしたくなる。それが何らかの発明品を生み出す原因にもなっています。それで、車が作られ、新幹線が作られ、飛行機が作られ、楽になったかと思いますと、余った時間に別の事をするようになる。良いのか、悪いのか?

暇だから、ヨットで遊びに行こうと考えます。その遊びをしている最中にも、やっぱり楽にならないかと考えたりします。それで、機械を設置して、コクピットに座っている。それじゃあまり面白さは感じません。

面白さを感じて遊びたいのですが、しんどい事はしたくない。いつも、その矛盾した考え方のバランスをとっています。でも、人間は怠け者ですから、そのバランスがどうしても、楽な方に傾きます。どこでそのバランスを取るかは、その人次第になるわけですが、我々は怠け者なんだという意識を持っていた方が良いのかもしれません。ですから、意識的にちょいと行動する事に重きを置いてみる。

とっても楽だったが、面白かったというのは、多分無いんじゃないでしょうか?

大きくシフトしなくても、いつもより、少し何かマニュアル的に行動をしてみる。今までよりは、わずかにはしんどさがある。まあ、しんどいという程でも無いんですが。それで、何がどう変わるのか?
これは自分で感じてみるしかありません。面白さを味わうには、行動するしか無い。行動しようと思ったという事は、それで少し楽を手放して、行動の方にシフトした事になります。

人間は怠け者である事、にもかかわらず、面白さを得たいという欲望がある事、このふたつの矛盾を意識して、どこまでやるか?そこに全てはかかっているのではないかと思います。

複雑極まりない事を把握して、読み解く事に快感を覚える方もおられます。或いは、シンプルにして、そのシンプルさの中に、感性でもって感じる事に快感を覚える方もおられる。人には、いろんな快感がありますから、それを求めるに、どこまでやるか?バランスをどこで取るか?その自分の意識次第で、退屈にも、面白くもなるのかもしれません。

誰もが持つこの矛盾を、どうコントロールするかが、重要な鍵。それは、意識して、自分を観察するしか無い。セール出すの面倒だな〜と感じたら、自分が面倒だと感じたからしなかったという事を観察して、意識する。それでも、出してみるかと思い直して、セールを上げた。それも観察して意識する。良い悪いの問題は何も無く、自分がそうなんだという事でしょうね。

矛盾するふたつのバランスをコントロールするのは、観察して意識する事ではないかと思います。
ほら、今、怠けた。ちょっと頑張った。意識する事は知る事ですから、知れば、後は、それをどうしたいかにかかってきます。それも観察して意識する。そうすると、そのバランスの取り方をコントロールできるようになるのではないかと思います。その上で、怠けたい時は怠けて、動きたい時は動く。ちゃんと、意識的にコントロールされています。

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