第百話 学ぶ事

今頃になって、どういうわけか歴史の本など読んでいます。学んでいるというより、興味深く楽しんでいると言った方が良いかもしれません。これまであまりにも無知であった事を思いしらされます。
それらを知ったらからと言って、何のメリットもありませんが、ひとつだけ気がついた事があります。

歴史に限らず、何でも学ぶという事が、何か気持ち的に豊かさを創造するような気がするという事です。知ったからと言って、どこかで話す機会があるわけじゃなし、何でも無い事なのですが、或いは、多くの方々が既にご存知の事ばかりなのですが、でも、知らなかった私にとっては、それが豊かさのような感じもしないではありません。

ヨットの知識にしても、同じではなかろうか?そういう風に思えてきます。何も、プロを目指すわけじゃない。ただ、自分が遊んで楽しければ良い。ですが、そこに知識として、たくさん知る事によって、少しでも心の豊かさが湧いてくるとしたら、それは大いに結構じゃないか、と思う次第です。

セーリングはジブシートとメインシートだけの操作でもセーリングはできる。これで一生を過ごしても良いかもしれません。しかし、少しづつ学び続ける事で、なるほど、そうか、という気持ちが湧いてくる事で、何がしかの豊かさを感じれるのであれば、それはおおいに学ぶべしという結論です。そして、学んだ知識は、実践において役に立ちます。学んで、実践し、また学んでという繰り替えしで、その世界の深さを見る事ができます。

どこかに旅行に行く時、歴史的な場所、観光地等を訪れたりしますが、その地の背景等を知っておくと、また違った見方も出てくるだろうなと思います。表面的にさらっと回る観光もあるでしょうが、知るとまた違う感じがしてくる。そういう意味では、もっと若い頃に勉強しておけば良かったと思いますね。それと共通したニュアンスがあります。

せっかく関わったヨットですから、セーリングの奥深さをもっと学んで、それが実践でどの程度いかされるかという事もありますが、たとえ、知識レベルにまで実践が到達しなくても、それはそれで、徐々に追いついていけば良いし、気持ちとしては、悪く無いと思いますね。

本を読んで知識を得、実践しますと、また新たな疑問も湧いてくる。知る事と実践でのフィーリングの変化と、両面で楽しむ事もセーリングの遊び方ではないでしょうか?それらは、工夫を生み出すかもしれませんし、腕の向上にも繋がるかもしれません。或いは、そんな事にはならなかったとしても、それはそれでも良い。まあ、そんな事は無いと思いますが。

でも、少なくとも、何故、そうするのか?そうした方が良いのか?ひとつひとつの理由が解ります。そして、こうするにはどうしたら良いか?という事も浮かんできます。それは頭脳のゲームでもあります。そしてフィーリングゲームと一緒に楽しめれば、相乗効果も出てくる。それらが、2倍面白いになって、相乗効果で何倍も面白くなっていけば良いと思いますね。

ところで、学んでいるときに、すぐに理解できない事が多々あります。それで諦めないで、一歩進んで、じっくりそこに取り掛かりますと、謎が徐々に解けてくる。この一歩が大切です。一歩越えれば、後は、どんどん解る。何でもそうですが、セーリングの実践もそうだと思いますが、壁がある。それを一歩越えるか越えないかで、世界はがらりと変わるのではないかと思います。

面倒くさがらずに、その一歩を越えてみてください。

セーリングの理屈、風の角度と風の強さ、波、そういう物に対するヨットの走る方角、風の強さに対する風の取り入れ量、そういう事を総合的に考えた場合、何故、今、そうした方が良いのかが理解されます。英語を勉強する時の文法みたいなもんでしょうか?

英語はコミュニケーションの手段です。相手の意図が解り、自分の意図を話す事ができれば、それで事足りる。それは、ちょうどセーリングでジブシートとメインシートさえ使えば、セーリングができるのと同じと言えるかもしれません。でも、セーリングは、セーリングができれば良いとするのと、もっとフィーリングを上げ、楽しみたいという次元の異なる欲求があります。それは英語を話せるけれど、もっと言葉を選んだり、滑らかだったり、同じ表現でも、ニュアンスを変えたりという自由自在感に価値を求めるかどうかと同じでしょうね。

言葉と違って、セーリングは、できれば良いという次元から、いかに高度に押し上げて楽しむか?そういう事に発展させていった方が、より面白さを感じられると思います。高度だから面白いのでは無く、発展させるプロセスに面白さがある。そこには新しい発見、新しい知識、そして新しいフィーリングにも繋がっていくと思うからです。

たかが遊びなので、そんなに真剣に考える事では無いかもしれません。しかし、遊びだろうが何だろうが、発展させた方が面白い。そこは自由選択ではありますが。いかに楽しむか?どうせ遊ぶなら面白い方が良いです。それなら、自分の遊びのどこに面白さがあるのか?そこを求めた方が良いという事になります。他人はどうであれ。

英語はとりあえずコミュニケーションさえ取れれば良いという事もできますが、セーリングはセーリングさえできれば良いという事では、面白さに限界が出てくるのでは?そうなると面白さを、他に求める事になります。誰かを誘いたくなる。どこかに行きたくなる。それはそれで違う楽しみがありますが、もし、セーリングを楽しみたいという事であれば、やはり、学んで、セーリングのレベルを上げて、あらゆる方角からセーリングへのアプローチを試みる方が、より楽しめるのではないでしょうか?知的アプローチ、実践的アプローチ、そしてフィーリングでのアプローチ。人間の持つ能力をフルに使います。

と言っても、難しい事をしようという事では無く、少しづつ、マイペースです。何しろ、この先長いヨットライフがあるのですから。楽しみながらです。知る事は喜びなりと、昔、誰かが言っていました。いろんな事を知識として得る事、セーリングについて、ヨットについて、風や波について、より多くを知る事も面白さになると思います。

次へ       目次へ