第四十七話 習得感

お金さえ出せば、大抵のものは手に入る世の中です。高級ヨットの代名詞とでも言うべきヒンクリーやスワン、さらにスーパーヨットでも手に入るし、それを動かすクルーにしても雇う事ができます。ところが、どれだけお金を積んでも手に入らないものがある。それが習得感です。

最高のヨットを買って、最高のクルーを雇って、最高の走りをさせる。そこにオーナーとして乗る事ができます。最高のヨットで、最高のセーリングを味わう事ができる。何十億も払えば、アメリカズカップのヨットにだってオーナーとして乗る事ができる。しかし、自分で動かしているわけじゃない。時折、舵を握ってその感じを味わったとしても、自分で解って動かしているわけじゃない。すると、その感じは全く異なると思います。

最初は誰も解らない。しかし、何度も乗り、知識を増やし、試し、そういう試行錯誤を繰り返しながら、楽しみ、上達していく人達は自分の中にセーリングを習得していきます。それがどんどん積み重なって、体に馴染んでいきます。そうやりながら、上達しながら味わう感覚は、誰かの操船に乗せてもらうのとは次元が異なる。どんなにスーパーなヨットでもです。確かに、高級ヨットに乗りますと、その走りは素晴らしいかもしれません。しかし、重要な事は、自分で経験を積み、腕を上げ、理解を増し、そうやって得てきた習得感、これが簡単には手に入らないものです。お金の問題では無い。誰にでも平等に与えられる感覚、でもやる人にしか手に入らない感覚です。

なかなか手に入らない物、これ貴重です。ですから重んじられる。物は手に入れる事ができます。でも、それが高価になるとなかなか手に入れる事は難しい。それでも、お金さえ出せば手に入らないでは無い。しかし、この習得感はそう簡単では無い。いくら積んでも無理なのであります。ですから、これを手に入れるという事はとっても大事な事で、その感覚を手にするのは幸福な事であります。

感覚を手に入れる。何と贅沢なのでしょうか。物を手に入れるなどとは全く次元が異なる。感覚の為に物を手に入れ、習得していく。目的は感覚なのであります。その贅沢な事。日本は豊かな国です。大抵の物を手に入れられる。高度に発達し、どこにいっても便利であります。インターネットで世界の情報を手に入れ、飛行機で飛び回り、世界中のあらゆる物を入手できる。そういう世の中において、最も贅沢なのは何か?それは望む感覚を手に入れる、味わうという事ではないでしょうか?

考えて見れば、何にしても、物があれば良いというわけでは無く、見た目の美しさ、品質、手触り、重厚感等々、感覚の良さに価値を置きます。食事をする時、空腹から満腹になれば用は成す。しかしながら、見た目も良く、香りも良く、味も良く、珍しいものを求めたりします。これも感覚を求めています。物があれば良いという事から、感覚が重要視されてきます。ヨットにおいても、そこにあれば良い、乗れれば良いという事から、いかにという事が重視されてくると思います。それはいかにグッドフィーリングを得られるか、そのフィーリングであります。そのうえ、自分で習得して味わう感覚程、贅沢なものは無い。そこから味わう感覚は、他人に乗せてもらう感覚とは、たとえ走りが劣ったとしても、自分で積み重ねたうえでの喜びに勝る事は無いと思います。

高い技術を習得した人は尊敬されますね。大リーグの一郎選手なんかは典型的な例です。あこがれでもあります。ですから、彼に億単位のギャラが支払われる。それに値するわけです。その何十倍支払っても、自分でその技術を買う事はできません。そして、自分でその技術を持った感覚と、観客として見る感覚は全く次元が異なる。

この習得感を得る事、高級なバイオリン、ストラディバリウスを買う事はできても、それを弾けるのと、誰かの演奏を聴くのとでは大違いなのです。自分で弾けるというのは、練習が必要でありますが、それに値する感覚をもたらしてくれます。

物を求める時代から、その物を使って、いかなる感覚を手に入れるか?時代はそちらに移行しつつある。これまでは物を手に入れるのが幸福感をもたらした。昔の三種の神器に始まって、いろんな物を手に入れてきた。それが幸福だったから。でも、これからは違う。物であふれる時代に、物だけでは幸福にはならない。よって、グッドフィーリングを求める事になります。物では無く、感覚であります。それがさらに進むと、グッドフィーリングだけを求めるのでは無く、いろんな感覚を楽しめるようになる。何を持っているかより、何を味わったか?そういう時代になって行く?しかも、自分でやる事によって得る感覚、習得感はさらに上の次元の感覚をもたらしてくれる。最高の贅沢かもしれません。そして、この習得感は一旦手に入れたなら、物とは違い、無くす事がありません。

敢えて申し上げれば、世の中の多くはお金で解決できるでしょう。しかし、その先のもっと贅沢というのは、お金では得られない習得感ではないかと思います。こればかりは、ビルゲイツだってお金では手に入れられない。それ程、我々の日々の体験は貴重であります。ある事を習得していくというのは、とっても貴重であり、そこから来る感覚も自分しか味わえない贅沢な感覚ではないでしょうか?ですから、ある事に習熟した人に出会うとあこがれます。尊敬さえします。今までは、お金を出して、そういう人の演奏やプレーを見に行ったり、作品を購入したりしました。しかし、何か自分の好きな事のひとつに、自分が習熟して、その感覚を得られたら、こんなに面白い事は無いのではないでしょうか?これこそ贅沢な感覚ではないでしょうか?

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