第三話 曖昧さ

セーリングとは実に曖昧なものです。曖昧ですから、レースをして優勝とか2位とか順位を決める。そうすれば明確です。クルージングにしても、到着する、回ってきた。行ったという明快nな答えがあります。ですから、明快ですからやり易いのだろうと思います。目指すものが明快になります。

ところセーリングという事自体は実に曖昧なままです。やれ緊張感だの集中だの、フィーリングだのと言っても、どの緊張でどのフィーリングなのかが実に曖昧で、やっても良く分からないというのが本音かもしれません。得点がつくわけじゃなし、獲物が手に入るわけじゃなし、目に見える明確なものは一切無い。それで、その助けとして風向風速計とスピード計をお奨めしました。しかし、それでもまだ曖昧なのです。

始まりがあって、あれとこれをしたら、終わる。そういうのが無い。ルールも無い。時間も自由。誰も強制はしないし、誰も見張っても居ない。実にオーナー任せ、オーナーの自由、放任と言いますか、誰も知ったこっちゃない。

ですから、実に自主性が必要ですし、意識も必要です。ですから簡単には誰でもできないのかもしれません。本当は最も簡単で、誰でもできて、と思うのですが、実は、それを面白い次元にまで持っていこうとしますと、簡単では無いのかもしれません。強い好奇心、探究心、そういうものが必要かもしれません。自慢できる事もないし、第一、自慢しようにも言葉に言い表す事さえ難しいのですから。

でも、それを気に入ってしまったら、どうしようも無い。意識はそこにいつも注がれる事になります。他の事をしていても、意識はそこに向かうようになる。つまり、一旦はまり込んだら、面白いのです。そこまでが難しいのかもしれません。

100mも短距離走はレースではありますが、今や世界記録を打ち破るかどうかが主体的になってきた。100mの世界記録は9秒72そうです。レースで一位になる事は重要ですが、最近ではこの記録を破るかどうかの方が重要視されているような感があります。そうなると、戦っているのは記録です。

デイセーリングのセーリングもこれに近いのかもしれません。もちろん、スピードだけではありませんが、競争せずに、ただ自分の理想的帆走を目指しているのかもしれません。記録も無い。そこで、自分で記録を造ったらどうだろう?否、これも誰も賞賛するものではありません。何という遊びなんでしょう。

でも、まてよ、誰もが、少なくとも何度かは経験したであろう、あの快走の気分、それはやるに値しないか?あの最高の気分をもう一度味わいたいと思うでしょう。単純な答え、あの気分をもう一度です。偶然ばかりに任せないで、自分で到達したいと思う。そういう事を目指しながら、その過程においても、いろんな気分やいろんなセーリングがある事に気付く。それが面白い。セーリングには特別なものはありませんが、確かにグッドフィーリングはあると思います。

このグッドフィーリングを得るコツは何か?偶然に出会うグッドフィーリングも確かにあります。しかし、もっととなりますと自分で近づくしかない。それで、どこがどうなって、こうなるという理屈を知れば、やっぱりそうか、よし、思った通りだとか、うまく行ったとかなると思います。ですから、学ぶ必要があります。セーリングはそういう遊びかと思います。

昔々、ビリヤードをやってた頃があり、あれは偶然にボールが予期せぬポケットに入る事が度々あります。最初はラッキーで片付けていたものが、そのうち面白さがなくなります。それで、学んで、練習して、思う通りにできた時、この方が随分面白いものです。偶然なんてもう不要なのです。それより、自分の腕が上がる事が楽しいし、集中して、思い通りになった時なんかは、格別なのです。ヨットもこれと何ら変わらない。違うのはやっぱりスコアが無い。自分次第ですから、セーリングを楽しもうと思う方は、余程自主性が無いといけませんね。

何とか、スコアのようなものが考えられないかな?そういうのがあれば、自分で腕の上がり方が明確に解る。そして、1級とか2級とか、或いは初段、二段とか?或いは、ゴルフみたいに、ハンディがいくつなんて。そういう明確な数値なんか出ますと、非常に解り易いのですが。まあ、無理か?
レースやクルージングのように、何か目的が明確であれば、のりやすくなると思いますが?

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