第九十一話 非日常性

面白いという事は非日常性を垣間見る事になります。ヨット購入を検討する時、それは非日常だろうと思います。ですからわくわくします。それでしばらく待って、ヨットが来る。そして進水。非日常が頂点に達します。ところが、これから先、毎日だって乗ろうと思えば可能で、それは乗る度に、非日常性から日常性へと少しづつ移行する事になります。興奮度は少しづつ下がっていきます。そして、ヨットを検討していた時が最も面白かったとなる。

これはヨット本体が対象になっています。もちろん、検討する時はそれで良いのですが、ヨットが来たら、ヨット本体もさる事ながら、今度は使う事、乗る事、そのものに意識が移行しなければなりません。ヨット本体にはさしたる変化は無いわけで、非日常性をいかに味わうかは、変化そのものを味わう事ですから、ヨット本体にいつまでも意識があると、非日常性が薄れていきます。

非日常性というのは、セーリングの中にある。ですから、意識をヨット本体から、セーリングに移行し、今度はセーリングに非日常性を見出す。これもそのままでしたら、そのうちに非日常性を感じなくなります。という事は常に、変化を見出さなければならない。人間は慣れという特性がありますから、そういう風に出来てます。ですから、常に何か面白い事を見出していかないと、非日常性を感じる事はできない。

という事は、セーリングの質を上げていくという変化を求めるのが最も良い方法かと考えます。セーリングにさえ意識を置いておけば、常に変化がありますから、常に非日常性を感じる事ができます。そういう意味では、クルージングなどは非日常性が薄れていくでしょうし、常に新しい場所を設定していかなければなりません。これには少々無理がありますので、年に1回とか2回とか、そんな頻度で乗る事によって、非日常性を保つ事ができる。毎週、セーリングに非日常性を感じる事は可能であっても、クルージングで毎週非日常性を感じる事は難しかろうと思う次第です。

セーリングの場合は、自然が勝手に変化してくれますし、自分の意識もセーリングそのものに置く限り、変化がわかります。今日と明日のセーリングも違うわけです。その違いが感じられるには、セーリングを感じる意識が必要かと思います。かくて、デイセーリングの意義がここにあります。

という事はセーリングをスポーツするのが最も良い方法かと考えるわけです。レースは誰かの主催によるもので、勝手に好きな時にあるわけでも無い。自分達でそれが主催できれば良いですが。

ヨットに泊まる事は非日常性を感じさせますが、それも毎週になると非日常性は薄れる。毎日してでも非日常性を感じるのはセーリングそのものしか無いのではないか?テレビだって、番組が毎日変わりますから、毎日見る事ができる。家庭での食事でも毎日献立が変わります。

それで理想のセーリングはと言いますと、ほど良い風が安定的に吹いて、波が静かで、と考えますが、それでも、毎日同じでは非日常性が薄れてくる。毎日ご馳走では、たまにはお茶付けが食べたくなるのと同じ。それでは、やっぱり、自然が変化して、無風状態もあれば、強風もあるというように、そこの時点だけを考えれば、嫌な事もありますが、全体的に考えれば、やっぱりそういう変化があるからこそ面白いという事になります。ヨットは今日だけのものでは無く、10年後も20年後にも続く、長いスパンがありますから、そのトータルで面白かったという方が、後々良いわけです。
それで、やっぱりキャビンよりセーリングなのです。

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