第十五話 流れを味わう

誰でも、楽しさを味わいたいと思います。ですから、どうしたら楽しいかを考えて、家族や仲間を招待したりします。しかし、こんな事を言ってはなんですが、セーリングを楽しいと楽しく無いと分けて、スポット的に見ますと、楽しい方が少ないかもしれません。楽しさだけを求めると、乗れる時はそう多くは無いかもしれません。

ヨットをレジャー的に見ますと、楽しさを求めますから、その楽しさはそう多くは無いかもしれません。仲間が揃い、休みがあり、絶好の天候。そういう重なりはそう多くは無い。でも、趣味的と言いますか、もっと突っ込んだセーリングを楽しむとなりますと、面白さを求めますから、それは全く感じ方が違い、従って、使い方が違ってくると思います。

面白いには楽しいも含みます。その他に、いろんな事、全てを含みます。実際、いろんな事があります。そのいろんな事を、楽しいと楽しくないに分けて、今度こそ楽しくといつも思うと、こんな事やってられない。楽しく無い方が多いのではないかと思います。それで、頭を切り替えて、いろんな出来事をトータルで面白がる。そうできないかと思います。そうできれば、端から見たら楽しくない事が本人には面白く感じられる。

何かをやってる人を端で見ると、辛そうに見える事でも、本人にとってはいたって面白くてしょうがない。

こういっちゃ難ですが、夢を持って、夢を追いかけるのも悪くは無い。しかし、夢は達成したら、その後も続く。その後はどうするか?やはり、今までと同じように続くわけです。日常が続く。つまりは、日常がとっても大事で、日常にあるいろいろな出来事を、そのまま面白がる事ができれば、その瞬間瞬間だけでは無く、トータルで流れを見るとか、映画を見ているようにとか、そういう見方ができればと思います。今日のセーリングはこうだった。今度はこうしようとか思います。そして、また今日のセーリングはこうだったと味わう。

そうすると、全てが流れとして面白くなるのではないか?いろんな事があって、少しづつ上手になっていく自分とか、その瞬間瞬間にも楽しさもあれば、その反対もある。それはそれで、そのまま味わう。また、次もあるわけです。無風の時、微風、丁度良い具合、強風、大雨、雷、寒さ、暑さ、いろいろあります。その中で、都合の良い時だけを選ぶ事はなかなかできません。ならば、そのまま味わう。案外、流れで見ると、面白かったりもするもんです。突然の大雨なんかをスポット的に見ますと、楽しくは無いわけですが、それを楽しいと思えというのは無理があります。それを一連の流れで見ますと、それもプロセスのひとつとして、楽しいわけじゃないが、面白いという見方もできるかと思います。スポット的には楽しくないが、流れの一部として面白いと思う事はできるのでは。

そうでないと、ヨットはできないと思います。自分で何かをしようと思う事はみんなそうで、楽しいだけなのは、誰かに接待してもらう時でしょう。それ以外はいろいろある。あって当たり前です。それを受け入れる事ができないなら、何もできません。

どんなでも良い。ただ、重要な事はそれを受け入れる。そしてできれば、面白がるという事かと思いますね。そうすれば、スポット的には、その日は楽しかった、或いは何でも無いとか、辛かったとかあるでしょうが、これがもっと広い、流れとしてみますと、全体として面白かったと言えるようになるのではないでしょうか?皆さん、良く過去を振り返って、あの時はこうだったとか言われます。その時は辛さも感じたかもしれませんが、今では面白かったと思ってあると思います。やってる最中はそんな事より、状況にあわせた対応をされている。何も辛さを求める事はありませんが、より良いを求め、それでも、求めれば、楽しさと一緒に、いろんな事がやってくる。それをどう考えるかによるという事になろうかと思います。

そして、流れの中心に、面白い事、それは多分、徐々に自分が上達しているという味わいかと思いますが、それが面白くて、いろんな状況でのセーリングが面白くなる。その上達に連れ立って、いろんな事を味わう。上達があるからこそ、いろんな事を面白がれる。その上達はいろんな事があるから、必然的に上達していく。もちつ、もたれつの関係にある。

毎日が面白い。退屈も面白い。強風も面白い。そうできれば達人ですね。
なかなか、本当はこうは行きませんが。

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