第六十九話 目的と手段

車で加速する時は、ギヤを下げてアクセルを踏み込む。スピードが出たら、再びギヤを上げる。セーリングも車と同じで、風が弱い時は、ギヤを落とす。つまり、上りだったら上り角度を少し落として、セールにドラフトを少し深く(ギヤー下げ)、加速して、スピードがついたら、再び上ってセールのドラフトを浅くする。

セールの深さは車のギヤ、風が強くて、スピードが速い時は、セールをフラットにしてトップギヤに入れる。そんな時、ローギヤに入れますと、大きくヒールする割には、スピードが出ない。車と違うのは、セールの深さだけでは無く、セーリングには、風に対するセールの角度もあります。セールにかかる風のパワーを、できるだけ前進力に変えたい。従って、セールの形と角度という二つを考える事になります。

舵を取り、走る方向を決めて、それに適切なセールの角度と形を模索する。それがセーリングという遊びです。単純な様で、これが求めていくと難しい。だから、長く続ける事ができます。

車は燃料を調整する事ができますが、ヨットでは、注ぎ込まれる燃料に匹敵する風の強さを操作する事はできません。ですから、風の強弱に合わせたセール調整をしなければなりません。これはそれがどんなヨットであれ同じです。ただ、違うのは、そのヨットの性質ですから、その性質と風とのバランスを、調整という操作で整える。それがセーリングです。

試行錯誤を繰り返し、いろんな事がありますが、いろんな事があるからこそ、最高のフィーリングにも出会う事ができる。うまく行ったり、行かなかったり、その繰り返しで、自分のレベルはどんどん進みます。進んでいきますと、さらにいろんな事が解り、その違いも感じられるようになれる。

ただ、何となくのピクニックも良し、最初はこれをおおいに楽しんで、身も心も慣れてきたら、その自由自在感の中で、さらに次のステップへと進めば、試行錯誤があり、そこでまた慣れて再び自由自在感が訪れる。

舵操作、セール操作、船体との一体感、面白さは目の前の海にあります。何も、遠くを目指す必要も無い。スポーツカーで何日もかけて走る事はできても、普通はそうしない。そんな旅には、もっと別な車がある。スポーツカーは近場でも、ドライブ感を味わうもの、フィーリング主体です。それとデイセーラーは同じです。

最近の車はスポーツカーでも、オートマチックになってきた。ギヤチェンジが、昔より、はるかにスムースなんだそうで、ぎくしゃくする様なストレスも無くなってきたそうです。高速で走るスポーツカーは、ギヤチェンジよりも、ハンドリングとそのスピードを楽しむのかもしれません。でも、ヨットは、マニュアル式。セール調整はマニュアルです。もし、オートマチックになって、舵だけ操作となると、それ程面白くは無くなる。何故なら、スピードは風次第ですから、車の様に常にスピードを自由自在というわけにはいかないから。それで、その調整そのものが面白さとなっている。

最初はセールの角度を気にしながら走って、ある程度慣れてきたら、セールのドラフトの深さ、位置、ツウイスト量なんかも気にするようになって、セーリングが少しづつ解ってくる。それが面白いのは、解る自分が居るから。操作によって変わるセーリングがあって、それを感知できる自分が居るから面白さが湧き出てくる。解る、感じる、自分が面白い。

つまり、我々の満足感とか、充実感というのは、外界を通して、知っている自分、解る自分、レベルアップした自分というのを確認できる処にあるのかもしれません。高級スポーツカーを買って、走らせる時、その車の高級感とか、スピード感とか、操作感とか、いろいろありますが、本当は、それを味わって、感じて、それを実行できている自分が嬉しいのかもしれません。という事は、この高級スポーツカーは目的では無く手段という事になります。

しかし、その手段が重要です。どんな手段を用いるかによって、目的である充実感も違ってきます。つまり、セーリングにしても、どんなヨットを手に入れ、どのように走るか、走らせるかという手段が重要だと思います。その手段は、目的という方向性で決まる。速いヨットを欲しくなったら、速いというフィーリングを味わうのが目的になり、それを実行できる自分が目的になります。それで、それに見合うヨットを手に入れ、実際に、走らせる工夫も必要になる。しかし、この工夫は苦痛では無く、面白さになると思います。目的は重要ですが、手段というプロセスはもっと重要かもしれません。目的さえ達成すえば良いというものでも無いかと思います。手段が面白いものでなければならないと思います。何にも工夫しないで、速いスピードを得たとしても、それでは満足感は満たされない。充実感はプロセスあってこそではないかと思います。

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