第三十七話 繰り返しの技術

何度も、何度も、繰り返し、セーリングをする。同じ様なセーリングであっても、もし、少しでも意識がセーリングに向かっているなら、その繰り返しが、毎回同じでは無い事がわかります。それを繰り返す事で、いろんな状況に遭遇し、いろんな状況でのセーリングの違いに気付く様になる。

そこで、意図が生まれ、もっとこうしたいとか、こういう状況でも、もっと走れないかとか、いろんな意図が出てきて、試行錯誤しながら、それをベターに導こうとする。こういう繰り返しによって、頭の中も新しい思考が生まれ、それは、目で見た観察と、体で感じた感覚から創造されていくものと思います。

セーリングを意識しながら、何となくセーリングしていても、やはり、繰り返しする事で、セーリングの感覚は体に徐々に浸透していく。だから、繰り返す事が重要になりますが、そこで、ある日、頭脳が働いて、こういう場合はどうしようなんて考えるわけです。

結局、セーリングであろうが、何であろうが、それが面白さであり、繰り返す事で、自分自身がいろんな事に気付き、そこで、改良を促し、ベターを得る。仕事も遊びも、面白さという点では同じで、違うのは、その内容が、仕事だからしているのか、遊びとしてしているのかの違いであります。何をするにも、こういうプロセスに至るのであれば、面白さを感じるのではなかろうか?

仕事だって、最初は強制的かもしれないが、それを続ける事によって、面白さを見出す事もあります。遊びは誰も強制しないので、そこに到る前にやめてしまうかもしれない。でも、好きで始めた事。取り敢えず、まずは、難しい事考えずに、繰り返して見る事を自分に課しても良いかもしれません。その繰り返しで、何が解るのか? やってみれば、必ず何かに気付くかと思います。

多分、特に何も意識しないでも、繰り返す事ができたら、何かに気付く事になると思います。人は、常に同じ状態ではいられないので、繰り返す度に、何か新しい物を探す。変化を探すようになって、気づかないでは居られない。微風から強風までのセーリングの違いに気付き、問題は、その違いをどうするかになります。

良い環境の時だけ乗ると決めるか、それ以外も、何とかする方法を考えるか?繰り返しの技術とは、今の自分のセーリングの状態を知る最も良い方法で、それから先どうするかを決める起点となろうかと思います。

それで、兎に角、いろいろ考えずに、難しい事考えずに、とりあえずは、繰り返しセーリングをしてみる事だろうと思います。退屈だったり、エキサイティングだったり、恐怖だったり、それでも繰り返すと、以前とは違う感覚も出てきたり、何故そうなるかと考えたり、では、どうしたら? と考えたり、誰もが、自然に考えが変化していくと思います。それが、繰り返しの技術を生み出す素なのではなかろうか? それと、何といっても、繰り返すと、誰でも、そこにフィット感が生まれます。体全体が、セーリングに馴染んだ感じです。 それって、そこから進化をするには、最高の起点ではなかろうか?

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