第三話 複雑系

長いデフレの影響か、ヨットの数は増えてこなかった。否、それでもパワーボートはフィッシングボートを中心に増えてきました。という事は、ヨットが増えないのは、経済的影響ばかりでは無いという事になります。現在のマリン業界におけるヨットとボートの割合は、ボートが95%を占め、ヨットは5%に過ぎない。いくら何でも、これは行き過ぎだろう。差があり過ぎだろうと思います。が、何故、こうなるのか?

面倒くさい事は嫌いだ。難しい事も嫌い。その両方にヨットはあたる様に見えます。そう言えば、選挙だって、ワンフレーズとかに単純化されてきた。物事がそんなに単純とは思えない。しかし、単純化する事で分かりやすくしたと誰かが言ってました。日本人が単純になってきたのか?もう、深く考える事をしたく無くなってきたのか?

世の中の発展は、便利という事が受け入れられ、それが発展の象徴でもあると思います。家に居ても、世界中のニュースを得る事ができる。テレビはリモコンひとつ。何だって、指先ひとつ。インターネットから得られる情報も、昔は苦労して入手したものですが、今は便利な世の中です。これはこれで良い。

ところが、一方で、複雑な事や工夫というものを考えなくて良いようになってきた。それらは、全て、誰かが工夫し、開発してくれる。だから、ユーザーにとっては、そんな面倒くさい事、複雑な事は、誰かに任せれば良い。そういう図式になってくる。だったら、自分で考えなくても、誰かが考えてくれる。そういう事に知らない間に慣らされてきたのかもしれない。

つまり、複雑さ、面倒くささを請け負う人達と、それを拒否する人達に分類できる。もちろん、大衆は便利を享受する側に居て、その格差が開いていく。つまり、我々は、どんどん考えないようになっていっているのかもしてません。

でも、考えている人は物凄く考えていて、それは何も生活の為だけでも無く、そこに何らかの面白さを見出してしまうからという理由もあるのではなかろうか? 考えなければならないのは、それが単純では無く、複雑だから。つまり、複雑な事を解き明かす処に面白さを見出すからこそ、考える。

日常生活に面白さを見出すなら、レジャーは不要かもしれない。しかし、我々は日常を便利にして、考えないで良いようにして、快適性を求めます。そこで、レジャーは息抜きとなって、また、一部の方々は、それでも不満で、面白さを求める。そうなると、複雑系に入っていく事になると思います。

単純で快適なのは良いのですが、そこに面白さは無い。その快適が長く続けば、それが当たり前となって、だから違う何かを求めるようになる。或は、楽しい事は時々しかやれない事になる。

ボートの方が圧倒位的に多いと書きました。しかし、その中で最も稼働率が高いのは釣りボートです。この釣りという遊びは、実は単純では無いし、面倒くさいし、難しいのであります。つまり、面白さは、そういう処にある。防波堤の釣りから始まって、いろいろ釣りが解ってきたら、どんどん難しい釣りにも進んでいく。そういう方々が大勢おられます。面倒くさいとか思わないし、複雑さから逃げない。むしろ、面白いと感じる。

ヨットが難しそうと思えるなら、それは面白さ満載という事になります。それはやる前に面倒くさそうという思いも出てくるかもしれない。しかし、実際にやって、その面倒くさいという感覚が薄れていけば、その代わり、面白さが増えている。誰も、面白い事に面倒くさいとは思わない。

だから、ヨットの面白さとは、複雑さにあり、それを解き明かすには、面倒な事もしなければならないし、工夫が必要になる。しかし、本当の面白さは、そういう中にある。単純であればあるほど、便利ではあるが、その便利さは、他の違う目的を達成する為には良いが、そのものに面白さは無い。という事は、セーリングを面白く堪能するというのは、より複雑を追求する処にあり、その為に頭を使い、面倒な事をして(面白ければ、面倒とは思いませんが)、工夫して行かなければならない。しかし、そこに至る方々は、他の方々が到底、到達できない面白さを手に入れる事ができるし、操作を面倒とも思わない。さあ、どう考えるかですね。

釣りは難しい。でも、その面白さが解っているからやる人は多い。つまり、ヨットが難しいからやらないのでは無く、その面白さが解らないからやらないという事になる。それをどうするかが課題ですね。ヨット全くの未経験者でも、面白さが想像できるぐらいにしないといけない。それはかなり難問?

ヨットに面白さは必要無いのか? 便利と楽しさだけで良いのか? だったら、ボートの方が良いかもしれませんね。そう考えた結果が、ボート対ヨットの比率に現れているのかもしれません。でも、本当の面白さは単純系では無く、複雑系にある。

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