第六十八話 フィッシング

釣りは日本では非常にポピュラーな遊びのひとつです。パワーボートの多くは釣り目的が多いし、実際、稼働率が高いのも釣りボートだろうと思います。この遊びの目的は明確です。頭も使うし、ヒットした時の感触は何とも言えない。それに獲物をゲットできるわけです。この釣りは初心者の防波堤釣りから、遠くの岩場を乗り越えた様な危険をおかしてまでする方もおられるし、ボートを使っての効率の良い釣りも盛んに行われています。人は面白い事に対して、エネルギーを惜しまないものです。

重要な事は面白いなら、何でもする。難しい事にも挑戦するし、危険をおかしてまでやる。という事は、逆を考えれば、面白くない事には、いくら簡単でもやりませんという事になります。

ヨット人口が増えないのは難しそうに見えるからというのがありますが、本当は面白くないからという事かもしれません。否、面白さが解らない、想像できないという事でしょう。セーリングの面白さは、フィッシングと同じ様に、頭を使いますし、突き詰めれば難しい。ただ、獲得できる獲物が無い。
だから未経験者では想像できないのかもしれません。

ところで、音楽を好きな方は多いし、楽器を始められる方も少なくないと思います。これも同じ様に難しいし、頭使います。それに獲物は無いけれど、他の人達に聴かせられる。音楽というものは誰もが知っている結果です。セーリングには、この最後の他の人は居ます。誰かを誘って、セーリングしてその感触を味わってもらう事ができます。しかし、問題はいつでもというわけには行きません。天候です。

さて、問題はセーリングは面白いのか? ここに尽きます。いろんな制約があります。その一番は天候です。それに獲物は無い。あるとしたら、レースにおけるその結果でしょう。だからレースは明確です。でも、違う様相もあります。

セーリングをして、純粋にセーリングを味わう事が面白いのか? これをだれもが想像できる様なら、ヨット人口は増えるでしょう。でも、未経験では想像できないのかもしれません。爽やかとか優雅とかぐらいは想像できても、それも天候によってはガラリと変わってしまいます。ですから、難しい。

いかにセーリングが面白いのかを語らねばなりません。想像できるようにしなければなりません。それが簡単では無い事が問題であります。得られる獲物は、自己の中におけるフィーリングという事になります。実に曖昧です。楽器の様に、練習すれば上手くなります。しかし、セーリングは耳に聞こえてくるわけでは無いし、その姿は見えるけれど、乗る人にしかそのフィーリングは解らない。

次に想像できるのは、旅としてのヨットです。しかし、現実的には、何日もかけて旅をする暇が無い。週末に気軽にフィッシングに出かけるように、セーリングに出かける。それが面白いものでなければならないと思います。天候に左右はされますが、それは釣りだって同じ事です。

結論から言えば、セーリングは面白い。ウィークエンドのセーリングで十分面白い。ただ、ドライブに出かけて、どこかにちょっと立ち寄って食事でもしてくるという事ができない。無い事は無いが、どこでもというわけにはいきません。ですから、車のドライブ感覚とも違います。

何が面白いのか? 風だけで走る感覚、その感覚は、自分の操作で違って来る。風が変化して、それに対する自分の操作を楽しむ。それでいろんなセーリングへと変化します。それが面白さとしか言い様が無い。経験しないと解りませんね。造る形が無いし、耳に聞こえないし、あるのはフィーリングであります。フィーリングは人には伝えられない。それがもどかしい。

しかし、実際に乗れば、意識がセーリングにあるなら、その変化がありありと解ります。そして、上手くなっていくにつれての変化も感じます。それがデイセーリングにおける面白さです。そのうえで、誰かを誘って載せてあげる時、或は、レースに参加する時、それらが他の人達にも伝えられる。
だから、デイセーリングには、時に、ゲストを、時にレースを織り交ぜた方が、励みにはなるかと思います。もちろん、自己セーリングで堪能することもできます。

次へ      目次へ