第三十九話 継続

昔から、継続は力なりと言われますが、まさしくその通りで、ひとつの事を長年に渡って続ける事自体がそう簡単な事ではありません。もちろん、その継続の中にはマンネリ感も出てくるかもしれません。モチベーションを高く維持するのは難しい。しかし、それでも継続しますと、やっぱり、それなりの力が生み出されてくるのではないでしょうか?

仮にピクニックをするとした場合、それを年に1回、2回じゃどうにもならないでしょうが、もっと頻度を高めた上での継続をします。すると、どこかに飽きが出てきます。いつも同じじゃ面白くないわけです。ご馳走だって、毎日は食べられませんから。

そうなると、ちょっと何らかの変化を求めたくなります。それで、ちょっと工夫をします。たまには違う人を誘うとか、微風に微風用セールを展開してみたくなるとか、ご馳走に工夫をするとか、あるいは、ちょっとセーリングを何とかするとか、そういう工夫が無いと継続はますます難しくなります。

それらの工夫をする事で継続します。その継続があるという事は、何らかの工夫があるという事だろうと思います。その工夫が、これまでのピクニックとは違う方向に導いてくれます。その新たな方向が力となって、そこに必然的に精通していきます。長く続けるというのは、やっぱり、そこに力となる何かが動く。

その中の方々の一部でも、セーリングに向かって頂ければと思います。ピクニックから始めて、その先のセーリングに向い、そのセーリングを深く追求していく事をライフワークに持つ。もちろん、時々はピクニックも楽しめます。余裕で。

今度は、セーリングを継続します。ここも同じで、いつも同じ事をしていたのでは飽きてきますから、継続する為には工夫が必要になります。セーリングはどこにでも工夫の余地がある。その気になれば、いくらでも工夫をする事ができます。それは技術的向上にあると思います。これ無くして、継続は難しくなる。技術向上、疑問とその解明、発見、フィーリングの向上、スピード、スムース感、自由自在感、等々の進化に気がつく。それが継続のエネルギーになる。

テレビを見るに何のエネルギーも要りません。しかし、その裏で、テレビ番組制作にあたっての裏方の工夫があります。誰かが工夫して変化を見せる。だから見る方は楽で、何の工夫も要りません。好みはありますが。でも、自分主体で動くなら、自分が工夫しないと変化が無い。だから継続できない。継続にはエネルギーが必要です。だからこそ、継続は力となる。

ヨットを10年続けると言いますが、実際は簡単な事では無い。ほっとけば、自然に10年過ぎてしまいますが、ただ、時間の経過だけではありません。その10年間、どんな風に過ごしたのか?
要は面白かったのかという事になります。

時間は貴重とか言われますが、その対象に対してはあまり言われません。その対象もやっぱり時間を必要としてきたわけであります。時間は時間だけが単独で存在するのではなく、むしろ時間そのものは存在せずに、その対象の変化に対する経過という事になると思います。ですから、時間が貴重なら、やっぱり、その対象が貴重なのだろうと思います。

何度も言ってきましたが、無駄が悪い事では無く、解っている事が重要で、解ってするかしないかを決める。それで良いかと思います。継続は力、でも、したくないならしないで良い。でも、それが解っているから良いが、何となくでは、それこそ無駄なのではないかと思います。解っているなら、その次の決断も明確になります。継続するかしないか?

でも、是非、ヨットを続けていただきたいと思います。ちょっとした意識の変化、工夫で、つまらなかったものが、面白さに変わる。それを手に入れていただきたい。継続のエネルギーです。時には頭を使わず、体を使った方が良い時もある。時には、体をできるだけ使わず、頭を使った方が良い時もある。もちろん、両方使う事もある。継続するだけで大きな力となる。その力は自分の面白さではないかと思います。

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