第二十八話 ライフワーク

子供が独立して、仕事引退して、さて、これからの人生に何をしようか? ぶらぶらしてもしょうがないし、何か充実感を感じれるような、これまでとは違う何か? まあ、何でも良いのでしょうが、好きな何かに打ち込んでみるというのも悪く無い。どこまで行けるかは解らないものの、何かに精通できると、きっと面白いに違いない。

それで、ヨットを始めるとします。ヨットは遊びではあるわけですが、そこには習熟すべき技術があり、だからこそ難しさもあれば、面白さもある。幸い、ヨットというのは、何も若い頃から始めなくても、今からでも遅くは無いし、しかも、初心者からでもすぐにセーリングを楽しむ事もできる。その楽しみを持ちながら、初心者レベルから徐々に引き上げていく。 それをライフワークにしてはどうだろうか?

そういう場合、でかいヨットというより、ある程度小振りな方が良い。でかいヨットはレジャー的要素が強くなるかもしれないし、セーリングをライフワークとして堪能していくには、取り扱いがし易い方が良いかもしれない。

何もレースを軸としようという事では無く、あくまで、個人的にセーリングを満喫し、セーリングの妙を知り、上手くなって、セーリングの深さを堪能したい。それで何か得しようという話でも無し、ただ、何かひとつ精通したものを得たい。

これから20年、10年でも良い。セーリングの理屈を学び、技術を学び、実践しながら、そのフィーリングを味わい、上達を感じ、難しさを感じ、それを乗り越える感じを満喫したい。そうなるとヨットは単なるレジャーでは無く、やっぱりライフワークとなる。

ヨットに対して、そういう考え方があっても良いのではないかと思います。

ところが、一方では、ヨットは夢を買うという考え方があって、いつか、このヨットで遠くへ行きたい。
そういう夢を持ちたい。だから、今は乗れなくても、それでも良い。あるだけでも良い。そういう考え方もあるそうです。

なるほどね〜。 それぞれに考え方も違います。でも、個人的にはいつかの未来にというより、今できる事を楽しみたいと思います。未来はその時にまた考えます。もちろん、夢を持つ事は良い事なのでしょうが、それがいつか解らない未来というより、確実に味わえる今に行動を起こす事で、その夢の端っこぐらいには近づける。

求めるなら、クルージングだろうが、セーリングだろうが、どちらにも深い何かがある。ただ、求める対象が違うだけです。どちらにしても、表面的レジャーというより、どうせやるなら、ライフワークとして、その深さを味わってみるというのも悪く無い。レジャーはそれでも合間に楽しめるわけですから。 求めるという事は新しい事にチャレンジし続ける事でもあります。年を取りますと、保守的になってとか言われますが、でも、生まれてこのかた、ずっと新しい事に挑戦し続けてきわけです。それが停止するとどうなるか?今更なんて言わないでください。停止すると止まります。当たり前ですが。停止はひと休みではありません。停止です。生きてはいますが、身も心も止まります。

何に挑戦しようと自由ですが、ここでは、もちろん、セーリングを御勧めしております。

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