第二十四話 意識

人は誰でも自分の思う通りに行動します。例え、誰かに強制されたとしても、しぶしぶでもそれに従う行動は、自分の意識が従わざるを得ない状況を受け入れたからという事になり、やはり、人は自分の思う通りに行動している事になります。

そう考えますと、意識こそが全てをコントロールする司令塔みたいなもので、その意識がどこにあるかによって、どういう行動をするかが決まりますから、この意識を意識しておくのは重要な事かもしれません。

ヨットに対する意識、自分が何を意識しているのか? キャビンを意識しているのか、セーリングか、クルージングか、レースか? 全体的な意識もありますが、今日のこの瞬間の意識はどこにあるか? その意識次第で、得られるモノもそれに見合ったモノになっていくと思います。

誰でもそうですが、普段はピクニックしかしない人でも、レースに参加しますと、途端に意識が変わります。真剣になります。だからこそ、レースの面白さが得られます。レースは明確です。しかし、普段の使い方が漫然となりますと、得られる事も漫然になります。ピクニックでしたら、ピクニックを意識して楽しさを考えれば良いし、セーリングでしたら、意識はセーリングに置かないとより良いセーリングは得られない。ただ、突如、良い風が吹いてきた時、誰もが意識をセーリングに移す事は多いです。そうなるとセーリングの面白味を得られます。

ただ、偶然の風だけを頼りにしていたのでは、そうそうチャンスはありません。それで、普段から、今日はセーリングと意識した時は、風の具合に関係無く意識的セーリングをします。そうすると、例え、良い風で無くても、そこから何らかの発見等をする事ができるようになり、ベターなセーリングとなり、面白さは、何も良い風の時だけでは無い事が解ると思います。

セーリングが解ってくると、自分なりに考えますし、その考えに基づいて工夫したりもします。うまくいけばグッドフィーリングを味わったり、面白さを味わったりもします。それもこれも、意識がセーリングにあるからです。

ですから、最初の一歩は、難しい理屈や技術では無く、セーリングを意識する事かと思います。それさえあれば、今後はどんどん進んで行けます。技術や知識はそれからでも遅くはない。まずは意識して、走って、そこから疑問が出てきたりしてきますから、それからどんどん養われていくと思います。これら一連の動きこそが、セーリング遊びそのものになると思います。

ある程度進んでいきますと、また意識がその上を要求していく。そしてまたそれに対して、知識と技術や養われていく。これがどんどん進みます。それは何も、誰よりも速く走るという事に限定するわけでは無く、セーリングをしていけば、いろんな事に遭遇しますから、その知識や技術、そこから得られる面白さは多岐に渡ると思います。

これら全部がセーリング遊びという事で、その方向や範囲は自分の意識の範囲という事になるかなと思います。ですから、自分の意識外の事を楽しむ事は無いですね。だから、何を意識しているかは重要ではないでしょうか? 例え、普段、セーリングから面白さを得たいと思っていても、今日は気分が乗らないし、面倒くさいと思ったとしたら、それもちゃんと意識して、そのうえで、流すようなのんびりセーリングをする方が、ただ漫然とするより良いかと思います。

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