第九十六話 リッチ感

ある人の話ですと、海外のお金待ちは超豪華なお屋敷に住んで、周囲から身を守る為に、周りを囲んで、ガードマンを配置する。でも、日本人はリッチにはなりたくても、そんな隔離したような生活を望まない。という事だそうです。でも、海外にはそういうリッチが多いとの事。

日本人のリッチ感というのは、外国の方々とは微妙に違うのかもしれません。それは多分、物質的豊かさを求めても、圧倒的格差を周囲に見せつけるようなものでは無く、さりげなさとでも言いますか、日本人独特の精神的リッチ感があるのかもしれません。例えば、リッチになって、豪華ヨットを手に入れる。操船には誰かを雇って、自分はコクピットでシャンペンでも飲んでる。そういうリッチもあれば、自分で操船できる処に満足感を感じるという事もある。

豊かさには物質的な豊かさと精神的な豊かさがあります。もちろん、両方が同時に成立する必要がある。情緒的には、物は無くても心は豊か、なんてセリフもありますが、現実的には両方でしょう。しかし、物質的にも、精神的にも、豊かさというのは豊富である事。

物は数や大きさから、それが質も重視されるようになる事。精神的にも、考え方は同じで、たくさんの味わいがある事ではなかろうか? それも、質を問えば、たくさんのグッドフィーリングなのであります。

物を手に入れるには、働いて、稼ぐ必要がある。その結果リッチになっていけば、物は手に入る。精神も同じで、グッドフィーリングを手に入れるには、それなりの事はしなければなりません。それを物やその質だけで満たそうとすると限界がある。よって、簡単に言えば、うまくなる事が必要だろうと思います。

リッチになって、良いヨットを手に入れれば、それだけである程度はグッドフィーリングを手に入れる事はできる。しかし、もっとと思えば、もっと良いヨットにするが、これも限界がある。よって、どこかの時点で、腕を磨いて、自分の腕による創造がなされる必要はあろうかと思います。すると、それによるグッドフィーリングが生まれる事になる。ここには限界は無いかもしれません。

良い車を買って、いい気分。でも、運転が上手くなったら、その車の性能を十分堪能できるようになったら、もっといい気分になれる。要は、物質も精神も、自分で稼がないと手に入らないという事になるかと思います。

自分に見合う良いヨットを手に入れて、上手くなる事で、グッドフィーリングをより多く創造していく。
セーリング遊びは、そういうやり方で、精神的なリッチを目指す。一旦リッチになったら、一生リッチのままです。奪われる事も無い。そんな人がピクニックをしても、リッチの余裕で楽しむ事ができるし、ゲストにも楽しんでもらう事もできる。

どっちのリッチが良いか? どちらのリッチがお好みか? 日本人は、大抵は、精神的なリッチ感も重視するのではなかろうか? それはヨットで言えば、自分がうまくなる事を必要とする事になるのではなかろうか? 

基本的に、日本人には物造りに対して高い評価、価値観みたいなものがある。でも、海外では物造りに対する愛情が無い人も多いそうです。物造りは労働者がするものという、物造りに対する低い評価を持つ人達も多いそうです。物が良ければ良いという感じかな? お金さえあれば手に入りますから。しかし、日本人は物造りに尊敬の念を抱くし、職人は誇りを持つ。評価は出来た物に対するものだけでは無く、それを造る職人にも注がれる。だから、良い物ができる。セーリングに上手くなるというのは、物造りに対する愛情と変わらないと思います。だから、上手くなる事は重要な意味があると思います。それは精神的豊かさに繋がるのではないでしょうか? 物とその質、そして心にはフィーリングとその質、両方を満たす様に考えた方が良いのではなかろうか? もし、そうなら、上手くなろうとする心が必要ではなかろうか? 日本人のリッチ感?

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