第七十七話 何故ヨット?

モーターボートならスロットルさえ上げれば如何様にも走る事ができます。しかしながら、ヨットは風が無いと走れません。不便ですね。何でも思い通りにしたいと思うのが我々ですから、そんな我侭を聞いてくれないのに、なのに何故、ヨットを選ぶのか? 

そんな不便なヨットを選択するには、それなりの理由があります。思うに、その不便さが、面白さに変わるからだろうと思います。その不便さを敢えて選んで、そこを何とかしよう。それがセーリングだと思います。だから、何とかした方が良い。そこを楽しんだ方が良いと思うわけです。走るだけならモーターボートの方が手っ取り早い。しかし、そうじゃ無いんですね。

良い風が吹いた時だけセーリングを楽しむというのなら、その何とかしようという面白さはあまりありません。しかも、年間を通じて、そういう都合の良い事はそう多くは無い。これは誰でも経験的に解る事かと思います。よって、セーリングをより楽しむ為には、どうしても何とかしようとする必要があります。それが本当は面白さなのですから。

ある程度の風がある時、ヨットは快走してくれます。実に楽しいセーリングになります。例え、多少セールの形が悪くても、ヨットは走ってくれる。実に簡単であります。でも、風が弱い時もあれば、強い時もあります。何とかしようと考えると、いろんな状況で、より良いセーリングを創造しようという意図が働きます。そして、試行錯誤があって、より快走を味わう事ができるようになる。このプロセスが、我々に最高の喜びをもたらしてくれる。パワーボートには無い味わいなのであります。

多分、パワーボートであれば、ボートを手段として何かをしないと楽しく無いのではなかろうか?例えば代表的なのは、釣りですね。ただ走っているだけで楽しいのだろうか? そんな疑問を持ってしまいます。だから、ボートの場合、他の何かが必ず必要になると思います。ところが、ヨットの場合は、走る事が楽しくも、面白くもなり得る。

どうやって、より走らせるか? と考える。こうしたら、ああしたらと試行錯誤をする。その結果、良い走りを見出していく。その走りに、インスタント的にポンと到達するわけでは無い。だからこそ、そこに面白さが生まれる。ストーリーが生まれる。場合によっては、そのストーリーこそが、結果という
快走を盛り上げる役目になります。インスタント的にボタンポンで快走するよりも、そこまでのストーリーが我々の心をより満足感に導いてくれる。結果も大事だが、それまでのストーリも大事なのでありますね。

我々人間は生まれて、その最後の結果は死であります。誰も歓迎したい結果ではありませんが、でも、これは避けられない事実。でも、違いは、その間にいろんなストーリーをたくさんプロセスとして創る事ができる。途中途中の結果さえも、実はそれはプロセスの一部であり、ストーリーの一部であります。どんなプロセスだろうが、最後の結果は同じ処に行き着く。そう考えると、ストーリーこそが重要なのかもしれません。

そのストーリーをどう創るか?

一足飛びに難しい事に挑戦したら、めげてしまうかもしれません。ですから、今のレベルから常にちょっと上に挑戦する。それは、自分が気がついた疑問とかですね。疑問を持つという事は、その疑問が疑問として解るわけですから、自分がそのレベルなんだろうと思います。高度な問題は疑問にさえ浮かばない。だから、浮かんだ疑問に常に挑戦して、謎を解く。

そこで問題は疑問が沸いてこない時です。それは心をセーリングに置いていない時です。心がセーリング以外にある時、セーリングに疑問を持つ事があるはずがありません。ですから、セーリングの面白さを得るには、心をセーリングに置くという事が必須条件だと思います。そこからストーリーが始まる。

ピクニックも結構ですし、宴会も、別荘もおおいに結構なんですが、セーリングの面白さを得たかったら、心をセーリングに置くしか無い。ピクニック中でさえ、良い風が吹いて快走を感じる事があります。その時、数十秒間かは、心がセーリングにあるはずです。宴会が楽しいのは、心が宴会にあるからで、心がそこに無かったら、楽しい宴会にはならない。何をするにも同じ事だと思います。

従って、セーリングを楽しむコツは心をセーリングに置く事、そして、ストーリーを構築していく事ではないでしょうか? 今、難しい問題に挑戦しているとします。なかなかできない。でも、嫌にならずに、ストーリーを創っていると考えれば、少しでもエネルギーが沸いてくるのではないでしょうか?
それでも嫌な時は、別な事をして切り替える。でも、重要な事はその事を意識している事ではないかと思います。自分が何をどういう気持ちで行っているかが解っている事は、とっても重要だろうと思います。 意識的である事ですね。

それで、意識的に自分のストーリーを創るようにしたいと思います。つい、何となく過ごしがちなんですが、何となくの空気の中で過ごした時間には、ストーリーは生まれにくい。否、何と無くのストーリーしか生まれない。10年、20年と長い期間を費やし、創ったヨットストーリーが、何となくで良いんだろうか? 各個人の違いはストーリーの違いでは無いでしょうか?

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