第七十二話 意識的セーリング

風頼りのセーリングは偶然の産物に陥り易い。たまたま吹けば走るし、吹かなければ退屈になってエンジンをかけるかもしれないし、たまたま強風で恐怖を味わうかもしれません。偶然の風は、セーリングも偶然の産物にしてしまいます。

偶然では無い物と言えば、エンジンです。エンジンを使えば、意図した方向に意図したスピードで走る事ができます。でも、それじゃあ、モーターボートと同じで、ヨットを選択した意味は無い。

ヨットを選択した意味は、エンジンでは無く、その偶然かもしれない風を使って、それにどう対応して、面白さを引き出していくかという事になります。それを偶然の産物にしておけば、楽しさも面白さも偶然に過ぎない事になります。

そこで、偶然のセーリングから脱して、創造的セーリングに変えていく。それがセーリングの面白さだろうと思います。偶然から意図的に変える。

ピクニックセーリングをしている時、たまたま良い風が入ればヨットは快走します。強すぎる風になると、緊張し、恐怖を感じるかもしれません。しかし、それらは意識的セーリングというわけでは無く、偶然の風に翻弄されているに過ぎません。例え、意識的にセール調整したり、意識的にリーフをするにしても、それは意識的セーリングとは言わず、ただ対応しているに過ぎません。

風をコントロ−ルする事はできませんが、ヨットはコントロールする事ができます。それは単なる風に対する対応と考えるのでは無く、どのような走りを生み出すかという考え方の違いです。結果的に対応は同じ作業かもしれませんが、それは風に左右されているのでは無く、意識的にセーリングを創りだしていると考えるべきでしょう。

セーリングを風に対する対応と考えるならば、それは偶然の産物になりますが、風に対する創造と考えると、それは意識的セーリングであり、自分で創造したセーリングと見る事ができます。やる事は同じかもしれませんが、でも、意識が違います。それは重要な事かと思います。

この風で、どうセーリングを創るか? それが意識的セーリングだと思います。この言葉の響きは、ゲームを連想させます。ただ対応するセーリングとは姿勢が異なります。これが面白さを創りだす方法ではないかと思います。

ピクニックセーリングは楽しい。それはそれで十分楽しんで、時に意図したセーリングでセーリングを意図的に創造し、面白さを味わう。それは、理論的考察と鋭い感覚が必要になるし、それを成長させていくゲームでもある。人の感覚というのはすごいもので、微細な変化に気付く事もあります。
そこで、意図的セーリングをする為に、まずは、観察する処から始めるのが良いのではないかと思います。

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