第五話 求める事

私が何と言おうと、まだまだしばらくはクルージング艇が主流である事に変化はないと思われます。それで良いんです。世の中、本当に楽しむ人達というのは、大抵は主流では無いのです。本当に心から楽しんでいる人達というのは、いつの世もマイナーな存在なんだろうと思います。表面的に見れば、主流の方かもしれませんが、実は、そうではなかろうと思います。

クルージングが主流だとしても、本当に心から楽しんでいる人達は少数だろうと思います。ここもマイナーであります。ご存知の通り、今日では大きなヨットを、初心者でも簡単に操作できるようになってきました。この事はヨット人口を増やす事に大いに寄与するだろうと思います。そこからどう発展していくかで、今後、長く続けられるかどうかになっていくかと思います。

ある方は、とくにセーリングに入れ込まなくても、ぶらりとセーリングをしてくる事で十分に楽しんでおられます。特に、セーリング性能がどうこうという事も無く、ただ海での散歩を楽しんでおられます。それができれば、長く続ける事はできます。これはこれで良いヨットライフです。吹けば走るし、吹かなければ漂う。その時々のセーリングの有り様を味わっておられる。そこに不満を持たない。
ただ今日の風を楽しむだけ。

しかし、多くの場合、そうはいかないんですね。もっと何かを欲します。もっと吹け、或は逆もしかりと欲します。もっとスタビリティーが高いと良いのに、もっと走れば良いのに、等々と考えるのが我々であります。それで、そこそこの性能を持つヨットになりますと、やっと、落ち着くかな?それ以上求めたら、走らせる方が大変になるから?

ある程度の性能のヨットを持ちますと、そこで落ち着きます。そして、今度は自分の腕を見る事になります。もはやこれ以上の性能をヨットに求める気持ちは薄れていきます。だから、ようやくヨットでは無く、自分の腕を磨く事に専念できるようになります。ここからが面白い処であります。

弘法筆を選ばずとか言いますが、ヨットは何でも良いとなるのでしょうが、我々はそうは行きませんので、ヨットを選びます。性能を求めます。しかし、ある程度満足できる性能のヨットを持ちますと、意識は別な方向に向かい、自分の腕の上達に向かうのではないかと思います。セーリングを意識して、それに対応できるヨットですから、後は操作次第という事になります。レースする方々はキリが無いのですが。

舵の操作に真剣味が加わります。セールトリミングに集中力が発揮されます。そしてそのレスポンスの良さに面白さを感じます。だからこそ、もっと自分を成長させたいと思います。上手くなれば、それだけヨットが反応し、その反応が解るからであります。

そうなると、セーリングに注がれる意識の度合いが強くなっていきます。これはいくらやってもキリが無いかもしれません。でも、そのうち、弘法大使のように、今日の風をあるがままに堪能できるようになるのかもしれません。何も求めないからこそ、何でも楽しめる。そうなれたら、どんなに楽なんでしょうか?究極かもしれません。でも、その境地になれるかどうかは解りませんが、いずれにしろ、一旦は求めて、求め続ける過程を経なければならないのかもしれません。

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