第四十四話 和をもって尊しとなす

昔、日本で良く言われた言葉です。個を犠牲にしてでも、和を重んじる。現代ではそういう事があまり良しとして伝えて来られなかったような気もします。それで、欧米から輸入してきた個人主義が走る。しかし、良く良く考えてみれば、我々は社会という他人と一緒に暮らすわけですから、和を重んじずには乱れてしまう。そういう意味では良い習慣なのかもしれない。しかし、何事も過ぎるのはいけませんので、個人も尊重されねばなりません。まあ、バランスの問題ですね、何事も。

セーリングもバランスでできている。どれかひとつが突出してもうまくはいか無いし、それぞれがバラバラ動いてもうまく走れない。全てがバランスをうまく取らないと、うまくは走れない。これは和を重んじる。ですが、和ばかりでは方向性が定まらないので、舵がリードする。その舵も、勝手気ままなら困る。全体の和を見ながらリードする。これで全体のバランスが良くなるし、方向性も決まる。
ラグビーというスポーツに、ワンフォアオール、オールフォアワンというのがあるそうだ。ひとりはみんなの為に、みんなはひとりの為に、スポーツはそういう個を活かし、和を活かすという事を肌身で教えてくれる。

昔、企業は日本人に個性が無いと、個性的な人を求める風な事を言っていた。多分にアメリカ文化の影響だったかもしれない。しかし、その後、企業がそんなに個性的な人ばかりを採用したようには思えない。個性的でありながら、和も尊重しなければ、チームは動かない。

個性は感性、物の見方が違う。それは感覚の違い。でも、頭脳で考えて理性的な部分もちゃんとある。だから個性と他性との整合をつける事ができる。我儘とは違う。

和をもって尊しとなすという言葉が否定的に見られるようになって、個人主義が走り、それが行き過ぎて、日本らしさが消えてきた。そういう状況に変わってきてから、やたらと、自己責任とか自由とか、そういう言葉がもてはやされ、どうも聞こえは良いが、社会が荒んできたように感じる。どちらも過ぎるのはいけませんが、どこらあたりでバランスを取るか?

和を重んじるに、クルー全員の意見を尊重しすぎると、間違いが起こりやすい。だからと言って無視すると、チームとして成り立ちにくい。難しい処。だから、舵を握る人は、チームの中で最も詳しく、最も熟練した人でなければならない。そういう事も教えてくれる。社会と同じですね。

だからかどうかは知らないが、ヨットを訓練の手段として扱う場合がある。確か、アメリカの軍にもあったと思う。日本のどこかの学校でもそういう事をしていた処がある。

という事で、ヨットは自然を教え、癒し、個の在り方、和の在り方も教えてくれる。それを頭だけでは無く、肌身に教えてくれる。自然と人工の融合の中に、丁度良いバランスがある。人工的になりすぎると、人間はうまく事を成せなくなるのかもしれませんね。それで、みんながヨットをやれば、社会はうまくいくようになるのかも? 

それでも、ヨットは個人の物なら、我儘になれる。自分の個性を存分に楽しむ事ができる。しかも、シングルハンドでセーリングするも、舵も全部自分でやるわけだから、我儘でありながら、でも、各部は和をもって尊しとなされる事は自覚しなければならないかも。どんなに我儘だろうと、個性的であろうと、自然には調和しなければなりません。ヨットから学ぶ事は多い。

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