第三十三話 映画

映画やドラマ、映画館に行く事もあれば、テレビで毎日流れています。その中には、冒険有り、恋愛あり、歴史やSF, アクション有り、様々な物語が展開されます。たかが映画でありますが、でも、面白い。手に汗握る、涙する、笑う、人間の持つ感情が、バーチャルな世界で展開されます。

自分じゃとってもできない事が、味わえない事が、目の前に展開されていきます。そして、何があろうと、自分は安全なのであります。だから平気で崖から飛び降りたりします。空を飛んだり、カーチェイスをする。そんなハラハラドキドキが大好きなのであります。

それを楽しんでいるのは、それを見ている観客という事になります。本人はたまりません。生きるか死ぬかをやっているわけで、楽しくも、面白くもないでしょう。でも、それを見ている我々は楽しくて、面白くて。それでまた、違う内容のドラマを見る。

我々が物事を楽しむ時、主役は自分になるわけです。でも、その主役を演じるのは大変な事です。ハラハラドキドキしている観客とは違います。自分が危険にさらされたりします。それが我々が生きている世界であります。映画の中の主人公が大冒険をするのは面白い。でも、自分ではとってもできません。

冒険好きでも、自分が主役になる現実では、とってもできない。だから映画となるわけですが、映画を楽しんだとしても、やはり現実の世界でも何らかのアクションをしないと面白くはありません。それで、映画の様にはいきませんが、何らかのアクションをとって、安全とのバランスを取りながら主役を演じる事になります。

先程の映画で、最も楽しんでいるのが観客ならば、自分が主役の時も、その観客にもなってみてはどうだろう? それができるのなら、その観客が、自分自身でもあるわけですが、自分の冒険を最も楽しめる人物という事になります。

それで、こんな事を考えてみました。現実においては、自分が主役として主体的に動かなければなりません。ドラマを作らねばなりません。冒険したりもします。どんなドラマを作るかは自由です。そのドラマの内容によっては結構大変なのであります。しかし、退屈なドラマを作ってもつまらない。良い事もあれば、悪い事もあるし、いろいろある。でも、観客としてみるなら、いろいろあるから面白い。

つまり、最も楽しんでいるのは観察者だと言う事です。それで、主役を演じつつ、観察者となったつもりで観る事ができれば、これは面白いかもしれません。でも、その内容にも寄りますから、それは主役であるもうひとりの自分次第という事になります。

そう考えますと、観察者である自分が面白いと思えるようなドラマを自分が演じる事になります。そして、それを演じる本人と、観察する本人が居て、両方の目で、自分のドラマを演じ、観察する。そうできれば、これが最も人生を楽しめる方法ではなかろうか?主役と観客の両方を演じる事になります。 時に主役になり、時に観客になる。果たしてそんな事ができるのか? これが問題ではありますが、 取り敢えず、意識して、観察してみてはどうでしょうか? 

ヨットに乗る自分、どういう運営をしているか、観客として面白いか? どうであったら良いのか?
現実にできるのか? 何を考えているのか・・・・・・・ これは主役である自分とは違う視点を持つ事になるのではないかと思います。

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