第三十二話 楽しい?

ヨットは楽しいだろうか? これは何にでも言える事で、スポーツは楽しいか? ギャンブルは楽しいか? 仕事は楽しいか? 結婚したら楽しいか? 家族を持ったら楽しいか?・・・・・・ ひいては人生は楽しいかという問いにまで行き着く。 そして、その答えはと言いますと、多分、時には楽しい事もあるし、そうで無い事もある。という処ではなかろうか?

結局は、何をするにしても、楽しいだけという事は有り得ない。やれば、いろんな事が起こるのは当たり前であります。ヨットに乗れば、最高の気分を味わう事もあり、また、辛さを感じたりする事もある。そんなものであります。辛さもあるならヨットはしないという事もできますが、でも、他の何かをやっても結局は同じであります。では、何もしないというのはどうか? それは楽しさも無く、辛さも無い、ただ残るのは退屈感だけという事になる。でも、その退屈感はやがて辛さにもなります。

という事で、楽しい事を求めるのはやめにしようという話です。この意味は、楽しさだけを求める事はやめにしようという事で、楽しんではいけないという意味ではありません。楽しさを求めても、そうでない事もあるわけですから、そうで無い事も受け入れようという意味です。それでどうなるか?

楽しさを求めるのをやめて、面白さを求めようという事であります。良い事も悪い事も、両方必ずあるという前提で、いろいろあるから面白いという事であります。ヨットに挑戦して、最高のフィーリングを味わったかと思えば、次の機会には最低を味わうかもしれません。だから、できるだけ最低が、いくらかは緩和されるように、知識や技術を身につける努力をする。そうしながらも、完全に避けられるわけでは無いので、ただ緩和はされるし、高い技術を持てば、余裕感さえも持てるかもしれないし、そうやって、いろいろ起こる出来事を受け入れて、そこに面白さを感じる。

そう思えると、多少の失敗なんかは恐るるに足りません。思う通りにやって、それを受け入れるだけであります。それが楽しい結果だったらそれで良いし、失敗だったとしても、面白さの一部として捉える事ができる。自分が思う面白さを、時間の経過と共に、味わっているわけであります。

デイセーラーに興味をお持ちの方は多いと思います。しかし、なかなか割り切れないという声も聞きます。思い切るか思い切れないかは、自分の面白さをどう遂行するかによる。成功するか、失敗するかでは無く、自分の面白さであります。自分の面白さを遂行するなら、成功も失敗も、どちらも受け入れる。それが面白さではなかろうか? 楽しさだけを求めるとこうは行きません。もともと楽しさだけなんて無いのですから。

自分の面白さの選択から、物事が流れて、それを面白がる事ができるか否か? それは受け入れる事ができるか否かという事であり、全てはそこにかかってくるのではないかと思います。それが結果的には楽しむ最善の方法ではなかろうか? 次に何が起こるか、と楽しみに待つという面白さを味わう事になるのではなかろうか? そんな方が、何人か私の周りにおられます。 達人だなと尊敬しております。

結局、楽しさを求めると楽しく無くなり、面白さを求めると、楽しさも味わえるし、いろんな事も味わって、充実感も生まれるのではなかろうか? だから、人生に幸福を求めると幸福にはなれず、面白さを求めると幸福になれるとも言えるのではないか? いろいろあったけど、面白い人生だったと。

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