第二十七話 好きなヨットに乗る

物理的にも、環境的にも可能であるのなら、好きなヨットに乗る。先々売る時に売れるのか、売りやすいのかと考える事もあります。しかし、そんな事で、一度しか無い人生に我慢をする必要は無い。今しか乗れないなら、今乗る。そんときゃそん時よ。

そんな方がおられます。現在の日本市場を見ますと、そのヨットは超マイナーな存在に見える。それで、一応、将来売る時、売れないかもしれないし、二束三文になるかもしれませんよと言うわけですが、そんな事はお構い無しであります。

情熱があって、どうしてもそのヨットのセーリングを味わいたい。その結果がどうであろうとも、体感したい。その気持ちを抑えて、無難に走っても、後悔するだけでありますね、確かに。そういう方々が居る事によって、そのヨットが日本に来て、新しい市場を生み出すのかもしれません。欧米ではそういう例も少なくないようです。

実は、デイセーラーもそういうケースと同じであります。ある方がレースをずっとやってきた。でも、ここらで、もうこれまでのレースはやめようと思い立った。しかし、帆走性能の高さとか、シングルとか、そういう事を考え、個人の依頼によって建造されました。そしてやがてそれがプロダクション化されたわけです。

しかし、みんながみんなそうなるとは限りません。でも、世間ばかりを気にしていては楽しめるものも楽しめ無い。それで良いのか?という事になります。そうやって割り切れる方というのは、実に人生を楽しめる。失敗したなと思う事もあるかもしれません。でも、一度体感した失敗は、体感しないで、未練として残していく後悔よりもましであります。

ある方、どうしてもこのヨットがほしいと思いながら何年も過ごされた。でも、実際自分の手に入れてどうなんだろうか?という考えも一方では少しある。でも? と何年も続く。それで、違うヨットに乗りながら、やっぱり未練が残る。だったら、結果がどうであれ、その未練を払拭した方が良いのではと申し上げた事があります。その結果を体感しない事には、未練は永遠に消えません。それで良いのか?という事になります。

そういう割り切りができる方の勇気にエールを送ります。そして、大抵は、後で考えても、結果がどうであれ、仮に失敗だったかなという事があっても、未練を捨てた処にある種の満足感もある。でも、大抵は結果は良い。何故なら、惚れ込んでいるのですから。十分に検討をしたうえでの事でもありますから、迷った分、調べもしたわけですから、気まぐれじゃ無いんですから、成功の確率は非常に高いのであります。

迷ったら、十分調べて、検討して、そのうえで、物理的にも環境的にも許されるのであれば、それはゴーでしょう。その方が未練を残すより遥かにましであります。限りある人生ですから。

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