第二十五話 評論家

どんなに素晴らしいヨットでもどこかにケチをつける事ができる。世の中に完璧なる物はありませんから。でも、どんなヨットにもどこかしら良い処はある。評論家は何にでもケチをつけたがるもので、そこに評論家としての価値を見出す人が居ますね。ケチをつけても良いですが、同時にそのヨットの良さも見つけて評価してほしいものです。

評価をするには、その立場がどこにあるかによって変わります。視点です。建造者は何も最低のヨットを造りたいと思う人は居ない。最低でも、その建造者にとっては良いヨットのはずです。その視点に立てば、そのヨットは良いはずなのです。ただ、問題はその同じ立場で見る人が多いか少ないかの問題です。

評論家は自分の立場で評価を下す事が多い。だから、同じ立場に立つ人には正しい評価かもしれませんが、そうで無い人にとっては、その評価は正しく無い。だから、人の話はいつも正しいのですが、同時に正しくないという事になります。

テレビを見ますといつもたくさんの評論家が登場します。そしていつも勝手なコメントを出す。そういうパブリックなテレビというのは、だいたいみんな正しいと思ってしまいます。かと言って、テレビには多様な意見を取り入れる事は殆ど無く、テレビ局の意向に合う人ばかりであります。だから、正しくもあり、正しくも無い。新聞も雑誌も同じでしょう。あるひとつの意見は必ず偏向しています。
従って、このTALKページも偏向しています。

偏向しない、公平な意見というのはありませんから、本当は、立場の違う、最低でも二人の評論家が、ひとつのヨットを評価するようになると面白いかもしれません。二人の見方が違って、意見が違って、片方でデメリットと見た箇所が、もう片方ではメリットとして見るかもしれません。そうなると、読む側、聞く側の立場として非常に参考になる。でも、現実にはそういう事はありません。

ですから、人の意見は聞きますが、あくまで参考です。もっと冷ややかに、クールに見た方が良い。そして判断を下すのは自分で、評論家ではありません。もちろん、いかなるヨットでも基本的な部分は、立場を超えて必要な部分はある。でも、ヨットがこの世に出たすぐならまだしも、長い歴史を持ちますから、そうそう全く駄目みたいなヨットは無いでしょう。

船体は頑丈な方が良い、硬いハルが良い。でも、現実にはそうで無いヨットもあります。キールで立たせて、左右をサポートする。でも、キールで立たせると船底が凹むヨットがあります。だから、これは駄目というレッテルを貼る場合があります。しかし、現実には、何の問題も無く、長い事使われています。もちろん、使い方の問題です。外洋へ行くわけじゃなし。そこまで求めないでも通常の航行には問題が無い。しかも、価格は安い。

もちろん、キールをぶち当てた時の損害は大きくなる可能性はあります。誰もが、ぶち当てたのだから、仕方無いと思う。しかし、頑丈なヨットは、そういう時でも被害は少ない。だから、駄目なのか? もちろん頑丈に越した事は無い。しかし、価格の事もあるし、使い方もあるし、それを言いだしたら、キリがありません。車だって頑丈なのもあれば、そうでないのもあります。頑丈でも、比較の問題で、どこまで頑丈なら良いのかと、やっぱりキリが無い。

評価は全て相対的でありますから、クールに参考にしましょう。公のものは真実のみを語るとは限りませんから。あくまで参考意見のひとつです。真実はどこかにあるものでは無く、事実のみがあって、事実のみでは何の意味も無く、それをどう評価するかによって意味が生まれる。だから、どんな立場で、どんな意味をもたせるかはそれぞれであります。そういう意味では、自分の立場と使い方と、そういう事を考える必要はありますから、やっぱり自分で勉強しなければなりません。

評論家には自分の立場を明確にして、そのうえで、素人が気づかない部分を明らかにしてくれれば良いのですが。

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