第一話 面倒くさい?

今の時代に蔓延しているのが、この言葉かもしれません。先日、アメリカからお客様が来られました。いろんな話をしたわけですが、アメリカの昨今の若者の事について、以前は18歳になったら、家を出て独立するというのが普通だったけれども、最近は就職が無いとかの理由もあるかもしれませんが、ずっと、親と一緒に暮らす若者は多いそうです。何かがほしいわけでも無く、何かがしたいわけでも無く、ただ、家に居ると楽できる。日本も同じだな〜。何でもが面倒くさい。

若者に限らず、面倒くさいと思うと、したくなくなります。或は、何かに頼りたくなります。それで得られるのは何でしょうか?得られるのは、便利さと、ますますの怠惰ですね。これでは、ちっとも面白さを得る事はできないのではないかと思います。何かに夢中になったり、疑問が湧いて、それの答えを見つけた感激とか、知らない事を知ったり、そういう事が無くなる。もう、昔の話になりつつあるのでしょうか?

しかしながら、みんながみんなそうであるわけでもありません。ただ、自分は楽して、誰かの活躍をテレビで見て、その感動の一部を得たりするのかもしれません。結局は楽なんですね。自分で動くのが面倒くさい。

面倒くさいという需要があるから、それを満足させようと、誰かが何かを発明したりします。それがビジネスになる。楽が悪いわけではありませんが、その楽を見て、その代わり、楽になった分、こういう新たな事までできるようになった、という事なら良いんではないかとは思います。面倒くさいは、人間を進化どころか退化させるような気がします。しかし、全員がそうではありません。それで、面倒くさいと思わない人達との格差を生みますね。

つまり、今は何でも格差社会。面倒くさいと思う人と、そうでは無い人との格差。その格差は、例えば、ヨットで言えば、オートパイロットをいつも使う人と、それは最小限にして、自分で舵を握る人。得るフィーリングや、舵に対する技術や、そういう得る事は、長年のうちに雲泥の差になっていきます。そういう時代なんでしょうね。まあ、乗るだけでもましかもしれませんが。便利機械を使って悪いわけでは無く、どう使うかでしょうね。

面倒くさいと思うと、ヨットなんかだいたいやれなくなります。第一、やらなければならないものでも無いし、やれば、面倒くさい事が一杯です。でも、それをやれば得るものもたくさんあります。このあたりの微妙な違いが、やがては大きな違いになると思います。ですから、どうせやるなら、いろいろやった方が、結果的には面白い事をたくさん得る事ができる。

美しさに感激したり、速さを求めたり、微妙さが分かったり、緊張したり、いろんな感情をセーリングから得る事ができますが、これは、我々人間にとって、とっても大事な事ではないかと思います。それがエネルギーを生み出すのではないか、ただ生きているだけでは無いエネルギー、ただ、食って、排泄するだけでは無い、もっと大きなエネルギーですね。面倒くさいはそのエネルギーを無くしてしまうかもしれません。だから、面倒くさいと思ったら要注意ですね。自省も含めて、ちゃんと意識しておく必要があると思います。

今日、でかいヨットでも、ジョイスティックで簡単に動かせる装置ができました。これはこれで良いわけですから、これを使って、今迄以上に、いろんなフィーリングを得て頂きたいと思います。そういう意識さえあれば、便利になる世の中ですから、どんどんヨットが広がって行く可能性はあるはずと思うのですが?

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