第六十三話 新しい価値観

まだまだでかいキャビンが主流ですが、クルージング艇はもはや、そういう方向に向かうしか発展のしようが無いのではないかと思います。でかくして、それで動かしにくくなって、今度はそれを簡単にできる装置ができて、それでまたでかくなる。キャビンの拡大競争も、もう限界ではないかと思っていましたが、まだまだ続くようです。そのうち、二階建てなんかできるんじゃないかな? 
もちろん、冗談ですが。

さて、そんな事はさておき、これまでに散々ご紹介してきましたように、欧米では、セーリングの方向に向かう人達が大勢出てきています。セーリングに対する捉え方が違うようです。そのセーリングを、日本では、ピクニック程度としか捉えていないようです。まあ、仕方無い事かもしれません。何しろ、そういう概念が無いのですから。

日本ではヨットと言えば、クルージングかレース、それ以外はピクニックなのです。その程度の認識なのであります。それはプロのヨットマンでも、雑誌社でもそうなんですね。ちょっとがっかりですが。

ある方が言った言葉が思い出されます。ヨットの何が面白いのか?ゲストとして乗ったヨットで、いわゆるピクニックをしたそうですが、おしゃべりと飲み食いに明け暮れて、セーリングの面白さは何も無かったそうです。ヨットはそんなものか?と思ったそうです。もし、本当にその程度なら、ヨットはたいした事は無い。セールを使うも、動いていただけという事になります。

否、本当はそんな事はありません。セーリングは知的であり、大胆で、繊細なスポーツであります。そういう事はレースだけに限った事では無いと思います。冒険はクルージングの旅にだけあるわけでは無いと思います。

ですから、セーリングについて、しつこく書いてきました。ピクニックとは違うという事を。別に、気軽にピクニックをしても良いんですが、欧米でのセーリングが、ピクニック程度を望んでいるのなら、何も、こんなにセーリング性能を上げる必要は無いし、船体を硬くする必要も無い。もっと簡単に造れます。

彼らがセーリングに向かう理由は、シングルが可能である事の意味は確かに大きいとは思いますが、それ以上に、セーリングの質だろうと思います。それが、これまでには無かったフィーリングを提供してくれるからではないかと思います。もちろん、速いという要素もありますので、それでレースを楽しむ人ももちろん居ます。でも、この上質のセーリング無しでは、こんなには広がる事は無いのではないかと思います。

これはとっても難しい局面でもあります。目に見える大きさに対して対価を支払うという事に対して、目には見えない質というものに対価を支払う事になるからです。それは例えば、日本でもありましたが、物に対して対価を支払う事は当然でしたが、ソフトや著作権や、そういう目には見えないものに対する対価という意識が、昔はありませんでした。それが今では、その価値が認められ、当然のように対価を支払うようになりました。つまり、そういう価値観を持つかどうかでしょう
ね。それだけ日本も進んだという事だろうと思います。そして、中国なんかは、なかなか認めない。そういう概念が薄いという事だと思います。

概念が無いところに、価値を見出す事はできません。セーリングに関しては、日本もまだこれからではないかと思います。デイセーラーのヨットを、またの名で、ジェントルマンズボート と名付ける感覚、それこそが、意識の違いを表しているのではないかと思います。

それで、当社としては微力ながら、セーリングという新しい概念を、何とか広げていきたいと思います。レースでも無く、クルージングでも無い、もうひとつの選択としてセーリングそのものを楽しむという選択もある。もちろん、ピクニックでも無く。

アメリカの雑誌でデイセーラーを評して、こういっています。”クルージングもできる、ピクニックもできる。しかし、このヨットが目指したのはセーリングそのものである” 日本とは捉え方が違いますね。

今日の一曲 ホーレス シルバー Song For My Father

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