第四十話 繰り返しの技術

繰り返し、繰り返し乗り続けますと、その先には何かがあると思います。セーリングというのは、頭の中で考えますと、単純と思える事もあります。何しろ、風向と風速に合わせるというだけですから。ただ、もっと考えますと、どんどん難しくはなるんですが。

そこで、初めは単純にセーリングをします。次も、その次も、どんどん繰り返しますと、飽きる人も居るかもしれません。でも、続けますと、何かに気付く事もあります。疑問が湧いてきたりします。それを解決しようと思います。それで、また乗り続けます。

こういう事は、実際にやってみないと解らない事なのですが、どんな乗り方であろうが、続けていきますと、何かを見つける事があって、それを解決して、また見つけて、解決してと続けて、やがて、何年も経ちますと、何かが違ってくる。

いくら、単純な事であろうとも、繰り返しやってきた人は、確実になんらかの知識や技術が身についてきます。繰り返しをしますと、やめるか、続けるか、ふたつにひとつで、続ける場合は、何らかの疑問や工夫や、進化を自然に求めてきます。それが、繰り返しの技術になるのではないかと思います。熟練の技術と言う方もあります。

最小限の力で、最大の効果を得る事ができる。最小の動きで、最大の効果を得る事ができる。特別な何かでは無く、みんなが同じようにしているのですが、でも、違う。ちょっと職人芸みたいな。でも、うまい人というのは、みんなそうなんじゃないでしょうか?

これは特別にヨットを速く走らせる技術とか、そういう事ばかりでは無く、いろんな部分に及ぶと思います。例えば、ある回航を生業とする方の話ですが、昔、アメリカズカップに日本も挑戦していましたが、たまに、回航のパートナーとして、そのメンバーを連れていく事があったそうです。でも、その人は、確かに、ヨットを速く走らせる技術はあったのでしょうが、驚くことに、それ以外については全くの素人だったそうです。

速く走らせるだけがヨットではありませんので、何も、繰り返して、いかに速くだけを意識しているわけでは無く、繰り返し乗りますと、いろんな事がありますから、そのいろんな事に精通していく事になります。それが繰り返しの技術として、身に付いていく。

外国語は片言でもコミュニケーションが取れれば、取り敢えずはOKです。それは、ヨットを取り敢えずは動かす事ができるという意味と同じだと思います。でも、その外国語を、少しでも流暢になって、もっとコミュニケーションを取れると面白くなります。それと同じで、ヨットもうまくなった方が面白くなる。それには、繰り返しの技術という事になると思います。

一旦、ある程度うまくなってしまうと、体が覚えていて、忘れないんですね。子供の頃練習して乗れるようになったら自転車が、今でもすぐに乗れるのと同じです。外国語も同じで、一旦身につくと、単語は忘れる事もありますが、基本的な事は忘れない。

繰り返しの技術は、頭では無く、体が覚えるという事なのでしょう。どうせヨットやるなら、そこまで身につけると、面白さが何倍にもなるような気がします。速さだけでは無く、安全に対する技術とか、強風時の走り方とか、いかに針路を取るかとか、いろいろあります。

ですから、同じ事でも、繰り返す事はとっても大切かと思います。本当は、もっと厳密に言いますと、同じ事は有り得ないんですが。同じ様に見えるだけで、それだけ大雑把にしか見ていないという事になります。それが繰り返す事で、大雑把な見方が、もっとよく見るようになって、違いが少しづつ分かってくるのではないかと思います。

技術というのは、派手な事ばかりでは無く、本当はこういう地味な処にあるのかもしれません。


今日の一曲 ウェス モンゴメリー A Day In The Life

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