第二十六話 価値観

全てを左右するのは、この価値観です。各人が持つ固有の価値観、それこそが最も重要なポイントではないかと思います。ところが、この各人各様の価値観は、他人の意見やマスコミ等の影響によって、流されていく場合も少なくありません。価値観の多様性はあるものの、でも、似てきたりもします。

それはそれとして、自分自身の価値観はどうなんだろう?例えば、上質のスーツを作ったとして、それを解る人も居れば、解らない人も居る。また、解る人でも、自分ではほしいとは思わない人も居る。スーツに限らず、何でもそうですね。家に凝る人、車に凝る人、或は、音楽、楽器、写真、絵画、その技術に凝る人、みんなそれぞれであります。

お金には全ての方々がある共通の価値観を持ちます。しかし、実際は、お金そのものでは無く、お金がもたらすであろう、いろんな物、サービス、安心感、それが目的だと思います。そのお金を何に使うのかが、各様であります。でも、最終目的は、それによって得られる何々感というフィーリングではないでしょうか?

前話に書きましたフィーリングこそが、全てを集約していると思います。物を手に入れたフィーリングや、勝利のフィーリング、安心というフィーリングです。夢を描いて、それを達成するのも、その時のフィーリングこそが重要だと思います。

さて、様々な価値観も、フィーリングという言葉で表す事ができる。でも、どんなフィーリング?という事になるわけで、そこでまた価値観という言葉に戻ります。

そこで言える事はひとつ。前話の内容と重複しますが、あるカテゴリーに絞って、例えばヨットというカテゴリーに入るとして、そこで、どんなフィーリングを得たいのかという事になります。普通は、レースにしても、クルージングにしても、もちろんセーリングにしても、ある良い場面というのを思い描き、その時のフィーリングを想像するかもしれません。そういう経験をしたい、味わいたいと思って、ヨットを始めます。つまり、ある一定の場面、一定のフィーリング、いわゆるグッドフィーリングです。

しかしながら、現実とは厳しいもので、良い時ばかりは無い。むしろ、理想とするような良い場面は、そうは無い、少ないのであります。という事は、散々苦労して、やっといつかそういう場面に出会うという、とてもやりきれないのが現実です。そういう事を気にはしていないかもしれませんが、現実を考えるとそんなもんでは無いでしょうか?退屈があって、恐怖があって、いろいろあって、やっと最高の求めるフィーリングに出会う。それも風任せが多いし、あてにならない。そんな事をやってるわけです。それはヨットに限らない、何でもそうかもしれません。

そこで、ちょっと考え方を変えてみます。もちろん、理想とする場面はあるものの、そこに至るいろいろな事自体を興味を持って、いろいろあるなら、いろいろ味わってみよう、そして、いつ来るかわからない理想の場面にしても、そこに至るように工夫はするものの、その時々の場面を楽しむ方法はないかと考える。どうせ味わう場面なら、いい方法を考えた方が良い。

いかなる場面も、そこに留まらずに、流れ流れていきます。退屈も、恐怖も、もちろん、最高のフィーリングも、そこに留まらずに流れていきます。ならば、最高を求めはしても、そこにこだわらずに、流れていくいろいろな場面を、工夫しながら、それなりに味わっていこうと考えてはどうなんでしょうか?すると、ヨットが持つ、あらゆる場面を味わう事ができる。その方が面白いと考えてみる。

いくら努力しようが、いくら工夫しようが、微風もあれば強風もある。無風だって当然来るわけです。それは仕方ない事実ですから、ならば、それらを受け入れて、そして工夫や努力は、その各場面において、いかに質を上げていくかという方向に使う。そして、全体のレベル、質のレベルを上げていく事を考える。全体をレベルアップさせながら、そして、時に味わう最高の快走感を堪能する。でも、そこに固執すると、また他の場面が劣ると考えますから、その最高の場面もその時だけ、また流れてしまい、そして、またいつか。全部を流れとして楽しみ、面白くする方向です。

私は、それをセーリングにおいて提案してきました。セーリングにそういう面白さをと考えてきました。もちろん、レースでも良いし、クルージングでも良いかと思います。面白さの見方を変えれば、違った面が見えてくる。

レースにおいてはトップを取るのが最高の場面でしょう。でも、他のヨットとの駆け引き、戦術の妙を楽しむ事もできます。トップでは無くても、あのヨットに勝ったという喜びもある。クルージングでも、あそこに行きたいというだけでは無く、徐々に進む過程の楽しみ方もあると思います。いろいろあるのが当たり前ですから、そう思って、できるだけ多くの場面で、どうやって面白く、楽しくできるかという工夫をして、徐々にレベルアップしていく、全体の面白さを得るというのは如何でしょうか?
すると、工夫や努力が、面白さとして捉えられるようになるのではないか?もし、そうなれれば、ハードルは下がってくるのではないかと思います。

つまり、価値観というのは、ある特定の何かを良いものとして、他とは差をつける事になりますが、セーリングという価値観はあるものの、その中では、全てを全体の一部として、差をつけずに、全体を味わうという事になるかと思います。だいたい、価値観なんてのはいい加減なもので、時によって変わるし、何かのひょうしにも変わる事があります。という事は、差をつけずに、ただ、その場面場面のセーリングを向上させるという事が良いのかな? 簡単ではありませんが。

今日の一曲 カルロス サンタナ Sanba Pa Ti

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