第二十三話 気軽さを得る

何かを楽しもうと思った場合、その敷居が高ければ高い程、気軽さは失われてきます。敷居が高いと、それはたいそうな物として認識される。それがたいそうであるなら、それをする行為もたいそうなものとして心構えが自然に湧き出てくる。たいそうなものを遊ぶには、一種の決心が必要になる。遊びにたいそうな決心が必要なら、日常に遊ぶ事はできなくなります。朝、起きて顔を洗い、歯を磨く。日常の何でもない行為がたいそうな物として認識された途端、毎朝決心しなければなりません。そんな馬鹿な事は無い。

ヨットに乗る事が、毎朝の歯を磨く行為とは同じにはならないが、その敷居をできるだけ低くする事が気軽に楽しむ、遊ぶ行為の第一歩であり、大きなハードルかもしれない。ヨットが気軽になった途端、ヨットは決心を不要とし、日常生活に馴染んでくる。敷居を低くする方法は、それに慣れてしまう事だが、慣れるにはヨットの持つパワーに負けない事が必要だろう。そして、そのヨットが自分のセーリングを助けてくれるという信頼も必要だろう。

これを越えたら、いつでも暇さえあれ出す事ができる。そうなったら、日常に馴染み、セーリングをもっと身近に楽しむ事ができる。身近だと言っても、セーリングは別の世界を見せてくれる事には変わりは無い。何故なら、自然のパワーの方が大きいからです。それを越える事は無理にしても、適度に遊んでくれるし、ヨットがそれを助けてくれる。ここにヨットに対する信頼がある。ヨットに信頼がおければ、遊べる範囲が広がる事になる。

海が陸と違って不安定であるからこそ別世界であるが、不安定を楽しみたいというチャレンジこそが遊びを生み出す。別世界を見たいと思いながら安定を求めるという矛盾がある。でも、それが普通で、チャレンジ精神と同時に安全でもありたい。安定ばかりでは退屈になるが、不安定ばかりでは身が持たない。それで、ちょっとチャレンジして、少しづつチャレンジする。そしてそれを支えるのがヨットに対する信頼であり、そこに気軽さがあれば、ヨットは日常に興奮をもたらす。

そして、チャレンジを続けるなら、それはスポーツと化し、スポーツになった途端、マンネリから抜け出しチャレンジになる。人はチャレンジが好きなんですね。ですから、人はスポーツをする。スポーツをするとうまくなるという過程が楽しめるし、体験からもたらされる別の世界も見えてくる。つまり、ヨットを一生の楽しみにするにはスポーツするのが最も良い方法です。そして、それを日常に楽しむには気軽である事が大切です。そして、その気軽さを支えるのがヨットに対する信頼と、ぐるぐる循環していく。つまりは、主体的に遊ぶ。楽しみたかったら主体的でなければならない。主体的にスポーツし、そこに気軽さがあって、最高の遊びが体験できる。

まあ、理屈は良いとして、気軽に出す事。これにつきます。それだけで、楽しくなる。楽しいのは快楽だけとは限らない。いろいろあるが、全部ひっくるめて楽しいというのが良い。

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