第三十九話 経験

このTALK&TALKを書き始めて何年か経ちましたが、結局、我々は何を求めているのか、
そんな所に行き着きます。外洋だろうと、近場だろうと、シングルハンドがどうとか、その行
きつく先は何なのか、一体何を究極的に求めるのか、という事になります。

例え、ヒンクリーだろうが、スワンだろうが、或いは30年も経った古いヨットだろうが、最終的
にはそのヨットを墓場にまで持って行く事はできません。物を求めては居ますが、最終的には
その物からどんな経験を得、どんな感じを持つか、それが最後に求めている事では無いでしょ
うか。最後に残るのは、自分が体験した記憶、それが良いか悪いかは別にして、どんな経験
をして、どんな感じを持ったか。それが残される。良い経験なら、充実した人生だっただろうし、
経験が不満なら、不幸な人生となる。つまり、どんな経験を一生の記憶として残していけるか
それが重要なのではないでしょうか。

どんなに良いヨットを所有しても、持ったという記憶だけでは最後には後悔するでしょう。やはり
ヨットを持ち、そのヨットを手段として、どんな経験をしていくか、それが生きていく間に実行され
ねば、人生を台無しにしかねない。そういう結論です。

一体、どんな経験をしたいと思われるのでしょうか?マリーナに係留しておくだけで充分でしょう
か? ほんのたまにキャビンで宴会するだけで良いのでしょうか?

セーリングをし、活動を続けると、いかにセーリングが好きでも、苦しい事もある。波が高く、風が
強く、ひやりとする場面もあるでしょう。大時化の中で、波に打たれて何時間も過ごす事もあるで
しょう。しかし、積極的に続けると、これらを乗り越えた素晴らしいセーリングも体験できる。苦しい
事を拒否すると、感動さえも同時に拒否している事になります。それで良いのか?

自分がどんな経験をしたいのか、それをじっくり考える必要があります。その考えに基づいて、行動
していく事が体験を生み、そこの苦しみも感動も、スリルも、喜びも全てがあると思います。ですから
どんな体験をしたいか、その決心次第で、充実したヨットライフにもなれば、つまらない物にもなる。
そして決心したなら、それをより可能性を高める為にはどんなヨットが良いかと考える。

ヨットにはいろんな使い方がありますが、その最もヨットがヨットらしくある所以はセーリングにある
と思います。そして、そのセーリングを最も気軽に、可能性を高めるのはシングルハンドであると
思います。ですから、シングルハンドをしましょうと言います。誰でも、決心さえすればできる、最も
気軽な乗り方だからです。それを実行していきますと、必ずや経験が生まれ、その経験から新しい
発見があり、その発見は次のセーリングに生かされ、そうやって繰り返しながら進化していく。
この発展こそが、経験であり、この経験から生まれる感覚は、充実した物に必ずなるようになってい
る。そして、死ぬ時は、良い経験をしたと思うでしょう。無理してやれとは言いません。無理はいけま
せん。自分のできる範囲で、実行して、進化していく。自分のレベルで実行する事が大切だと思い
ます。ヨット持ってるだけでは、自慢はできるかもしれませんが、それ以上の物では無い。最後に
自分に自慢しても、何も残らない。

経験こそが全て、そこからどんな感じを持つかが全て。経験に良い悪いの判断をすぐにせずに、批判
を加えずに、続けていくと、きっと、過去に経験したいかなる体験よりも、大きな感動が生まれる。
すぐに批判して、悪い体験と決め付けるから、先へは進めなくなる。ヨットは最後には残りません。
経験したという記憶だけが残るのではないでしょうか。ヨットは手段です。

経験はある程度は自分で選ぶ事ができます。はじめは自分の選択にかかっている。セーリングをする
という決心をした人だけが、セーリングの体験ができる。

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