第三十三話 快適依存症

ちょっと古いですが、映画のインディージョーンズを見た人は多いと思います。毒蛇と戦いながら
突き進む冒険を楽しんだ方は多い。しかしながら、そんな方でもちょっとエアコンが効かないだけ
で不満をもらす。我々日本に住んでいると、どこに行っても快適でなければならないと思ってしま
います。ちょっと不便になると、我慢ならない。発展するという事は快適さをもたらし、同時に我慢
強さを失わせる。電車やバスは時間通りに走らないといらいらするし、仕事量が多すぎると不満
が溜まる。他人の約束は守られなければならない。でも、快適さの割合が増えてくると退屈にな
ってくる。ヨットは格好の冒険になる。この冒険は外からこおむった物では無く、自らが求めた事
であるので、どこまでの冒険にするかは自分で決める事ができる。誰かに強制されて、世界一周
するのは嫌だけど、自分で決めて自分の求める量の冒険ができる。そこに面白さがある。
冒険は大なり小なり、インディージョーンズのようなものです。

しかしながら、そこには慢性的な快適依存症にかかっている我々は同じように快適でなければな
らないと思ってしまう。もはや快適で無いものには耐えられなくなってしまった。波があってはなら
ないし、風も弱くなく、強くなく、暑さ、寒さなんて我慢ならない。セールを上げるにもきついのは嫌
セールをたたむのはもっと嫌、とにかく、何をしてもいつも快適でなければならない。

ところが、自然の中に居る事は快も不快も全て、容赦なくやってくる。それが自然です。そこで、
エアコンを設置し、電動ウィンチを付け、全てファーラーにして、コクピットを全てオーニングで囲って
しまう。これで、全天候型、夏でも冬でも快適だ。ただ、波と風、天候だけはいかんともしがたい。
快適依存症になると、風が強い時は出ない、無い時も出ない、波が高いと出ない、雨が降ると出
ない。そんな中で年のうち何回かは良い条件があってでる。快適そのもの。すると出れるのは年
にほんのわずか、出た時は実に快適である。そんな快適症候群はそのうち飽きてくる。映画でみた
インディージョーンズのような冒険的要素は微塵も無く、退屈になってくる。そこで新たな冒険を夢
見て違うことをする。しかし、そこでもまた同じ事の繰り返しなのです。

ヨットをやるというのは、自分なりの小さな冒険をするという事で、そこに快適さを求めても完成させて
はならない。自然が暑さ、寒さを与えるように、快も不快も両方をも味わう事、それが冒険です。その
冒険無くして、エキサイティングな、心ときめくような、充実感などは期待しない方が良い。

どの程度の冒険をするかは自分次第、日本一周だけが冒険では無いし、嵐に向かうのが冒険では
無い。初心者にとっては、目の前1マイルが冒険になるし、ベテランにとっては強風が冒険になる。
つまり、距離的な遠方を冒険とする事もできれば、目の前の狭い範囲でも、吹けばかなりの冒険に
なる。遠方の冒険をするか、近場の冒険をするか、それも自分次第。

遠方を目指せば必ず時化た日がやってくる。それが何時間も続き、場合によっては何日も続く。それ
はそういう冒険です。それを乗り越えて、どこかにたどりついたり、時化を過ぎたりした時に違った意味
での快適さがやってくる。これはインターバルの長い冒険です。でも、デイセーリングはインターバルの
短い冒険です。どんなに時化ても、長くても数時間のうちには終わる。我々現代人にはうってつけの
冒険の仕方です。数時間の中に自然の全てがあり、それを経験できる。実にお手軽冒険なのです。
本格的冒険家では無い私にはそれが良い。その日の夜にはまたエアコンの効いた部屋でゆっくる眠
れる。でも、今日経験したエキサイティングなセーリングは人生をリフレッシュしてくれます。ヨットが快適
ならばリフレッシュなどは無い。エキサイティングも無い、冒険も無い。つまり充実した何かを得る為には
快適依存症からちょっと抜け出してみる事ではないかと思います。そして、そこに小さな冒険をして見る
事だと思います。インディージョーンズにはならなくても、リトルジョーンズぐらいで充分面白いと思います。
ヨットが面白いかどうかは、自分がどれだけ快適依存症から抜け出して、リトルジョーンズになれるかでは
ないでしょうか。

次へ       目次へ