第九十八話 完璧を求める

人はより良い物を求めます。それが発展の源泉でもあります。より良い物の究極は完璧を
求める。完璧にする為に物で埋め尽くすという行動に出る。これが資本主義の元でもあり
ます。資本主義というのは人間社会に合っているのかもしれません。或いは、人間の本性
を見ぬいて資本主義というものを造ったのかもしれません。

しかしながら、高度に発展した社会ではもはや物だけでは満足感を得られないという事が
解ってきた。物は必要ではあるが、それを使って満足を得るには人間が行動して、物と物
の隙間を埋める必要がある。便利や美しさは大切な物ですが、それを感じ取る人間の側に
それを統合して、感じ取る力が必要です。つまり、物から支配されるのでは無く、物を支配
する側に居なければならない。人間が物を支配すれば、何が必要で何がそうではないかと
いう事がわかってくる。物に振り回されないようになれる。

完璧を物で埋めるうちでは満足感は得られない。それを超えた時、本当の満足感を得る準備
ができるのかもしれません。ヨットに何でもかんでも求め、便利さを完璧さを求め、物で埋め尽
くしても、決して満足感は得られない。あれも必要かもしれない、これも必要かもしれない。
頭の中で完璧を造る時、終わりの無い罠にはまってしまう。それが解るまで、物で埋め尽くす。
それを経て初めて解る。そういう意味では世の中は完璧なのかもしれません。

そこで、シンプルからスタートするという事を考えます。ただ、単純にセーリングをする。そして
その感覚を感じる。顔に当る風を感じ取り、ヨットのスピードを感じ、滑らかさを感じる。全てが
整った時、あらゆる感覚に感じ取られる感覚が総合され、増幅され、しびれるようなセーリング
味わう事ができる。すべてはここにつきると思います。その為に、少しでもそれらを助ける為に
ヨットの性能を検討し、乗り心地やスタビリティー、頑丈さ、そういう物を考える。さらに、快適に
それらを実行する為にオートパイロットやGPSを装備し、或いは冷蔵庫やエアコンを装備する。
それはそれでも構わない。しかし、究極の目的はしびれるようなセーリングにある。

その為にメインテナンスをする。その為にチークにニスを塗る。あめ色光るチーク、全体の美しさ
バランスの良さ。それだけでも満足感がえられそうな気もしますが、それを乗る事によって、セー
リングする事によって、全ては完結される。美しいチークも良い。快適なエアコンの入ったキャビン
も良い。でも、それらは代替がきく物でありますが、セーリングだけは代替は無い。ヨットが提供
できる唯一、最大のプレゼントはセーリングによる感覚であると思います。ならば、それをしない
手は無い。全てはその為にあると言えます。

素晴らしいセーリングの感覚を得るために、メインテナンスをするし、装備もする。遠出する事もある
それらはそれぞれに楽しいものではありますので、多いに楽しむ。でも、その最頂点にはセーリング
があると思います。汚いヨットでセーリングするより、美しいヨットの方が気持ちが良いものです。
ちゃんとメンテナンスされたヨットの方がスムースであり、気持ちが良い。

冷蔵庫やエアコンはこれらとは別物です。それはセーリングの合間の快適さを求める。ただ、これら
は快適ではあるが、場合によってはセーリングという最大の物を損なう事もある。ですから、セーリ
ングが主なら、これは従です。従が主の領分を侵してはいけません。必要な物は設置すれば良い。
でも、セーリングの邪魔をしない程度に収めたいと思います。

冷蔵庫は夏の暑い時に、冷たい物を提供できる便利な物です。でも、冷やしておく為にエンジンを
回す。これではせっかくのセーリングが損なわれる。デイセーリングには氷を入れたアイスボックス
にした方が良い。遠出でエンジンで行くなら、冷蔵庫は快適です。使い分けが必要でしょう。

資本主義は物質主義、でも人間はそれだけでは無い。はるかに超えた存在です。その見えない部分
は簡単には手に入らない。簡単に手に入らない物は、資本主義では価値を高める。しかしながら、こ
れは目に見えない価値なので非常にわかりにくい。ここが問題です。でも、これを一旦手に入れると
何が必要で何がそうではないかがわかる。

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