第六十三話 心から楽しんでますか?

人間には本音と建前があるので、年齢を重ねるに従って、それをうまく使いこなし、それを長い間
経験してきたせいで、自分の本音が解らなくなってくる。そして気がつかないうちにストレスとなり
それが内に溜まってくる。自分が本当は何を経験したいのかが解らない。

実は心の中の本音の部分が、外に現れる現象と異なると、それがストレスになるので、ヨットとい
う遊びであっても、ただストレスを造っているだけになる場合がある。遊んでいても、その遊び方は
本当に心から望んでいる遊びとは違う。遊びといっても、無理をすると、それが負担になるのです。
だから、ヨットは面白く無いものになってしまう。でも、長い間、本音と建前を津か分けてきたせいで
それに気がつかない。

心の底から笑ったり、楽しんだり、感動したり、そういう事があるだろうか。遊びはそういう物でなけ
れば、実は遊んだことにはならず、ただ遊んだ振りをしただけかもしれない。それでは、遊んだという
体の動きがあっただけで、心はちっとも遊んでいないのです。

それはヨットのせいでは無く、自分のせいでしょう。ヨットは何の役にもたちませんから、本来は純粋
な遊びに徹する事ができるはずです。でも、見栄があったり、他人がする事と違う事ができない。
でも、ヨットは純粋な遊びであるので、他人に同調しても、やはり何の役にも立たないのです。それ
どころか、自分の本音と違っていると、遊んでいるつもり、ストレスを解消しているつもり、そうやって
別のストレスを溜めこんでしまっている。

日本人が遊びへたなのは、こういうところにあるような気がします。遊んでいるつもりで本気で遊んで
いない。他人と違う事ができない。本気じゃないから、そこに工夫もアイデアも生まれない。海外には
いろんな遊びが生まれてくるのは、この違いでしょう。仕事なら、みんなで一致協力するのはパワー
を生みだす事にもなるだろうが、遊びは純粋に自分自身を満足させることが必要でしょう。心から遊び
心から感動し、それが個人のパワーを生み出す。

遊びは遊び、何かの役にたってはいけないのです。役にたつ物は、もっと効率良くとか考える。遊び
にそんなものは要らない。必要な事は、心から楽しむという事だけです。遊びぐらい他人と違っても
良いじゃないですか。気にしなくて良いじゃないですか。そうでなければ、遊びゴッコを演じているだけ
になってしまう。遊びぐらいは、自分の本音に徹底的にこだわって良いと思います。
後は、自分が気にしない事です。他人がどんな遊びゴッコを演じようが、自分には関係の無い事です。
それに同調すると、自分も遊びゴッコを演じることになる。

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