第九十二話 トラブル

人はトラブルが好きなのではないかと思いますね。端から見てると全てが整ったような
そういう風に見える方々がおられます。でも、実際に話を聞いてみると、どこかに悩み
を抱えている。せっかく、順調に進んでいる状態でも、あえて何かをして悩みを抱え込む
事になる。人間はよっぽどトラブルが好きなんだろうなと思いますね。

でも、生きているだけでトラブルは発生するものでもある。生きる為には働かなければな
らない。その働くという中に必ずトラブルが発生する。つまり、トラブルはあって当たり前
なのだろうという事になる。このトラブルを避け様と思えば、何もしない事です。でも、何も
しないではおられない。何か快楽を求めて、何か良い事を求めて何かをする。でも、それ
がトラブルを生み出す。トラブル無しでは良い事も起きないという事になるでしょう。

トラブルがあるという事は何かに挑戦しているからです。挑戦無くして、トラブルは無いし
良い事も無い。子供の頃に感じていたトラブルは、今では何の事は無い。でも、それに
見合う良い事もたいした事では無い。つまり、何か良いこと、充実した事、そういう物を得
たいと思うのは生きている限り誰もが思う事ですが、それに見合う挑戦をしなければなら
ない事になります。そして、挑戦をすれば、それに見合うトラブルが発生する事も覚悟が
必要になる。

ヨットに快楽を求めて乗るなら、快楽だけを得ようと思う事自体が間違っていることになり
ます。相応の挑戦をしてこそ、そして色んな経験をしてこそ、喜びがあることになります。
ヨットで、初めてクルージングをして、面白かったと思う事は、これがまだ挑戦であったから
です。でも、慣れてくるともはやそれだけでは挑戦にはならない。物足りなくなる。これは
レベルが上がったせいで、進化したせいでしょう。今までの乗り方を続けるなら、それこそ
それが挑戦のレベルにとどまっていなければならない。という事は年に数回しか乗れない。
それ以上乗ると、満足できなくなる。

ヨットを何倍も楽しみたいなら、それは挑戦をし続ける事です。それが最も良いのはセーリン
グなのです。すぐ目の前で何回乗っても、挑戦は続く。自分のレベルがどんなに上がっても
次のステップがある。毎日、毎日、状況は変化し、良いときもあれば悪い時もある。でも、
長い目で見れば、確実にレベルは上がり、その都度、挑戦に見合う何かを得ている。これが
あってこそ、ヨットを楽しめるものではないでしょうか。それが、必ずしもセーリングだけにある
とは言いません。ロングクルージングにも同じように挑戦がある。でも、これは誰もができる
事ではありません。セーリングは誰もが、その気になりさえすればできる事です。

簡単にドラフトを浅くとか、深くとか言っていますが、どの状況で、どの程度すれば適切である
のか、これは非常に難しい。これを見出すには、自分の経験を積むしかない。一刻一刻と変化
する状況で、これをなしていくのは相当なる経験が必要で、だからこそ終わりのない挑戦といえ
るでしょう。でも、これをする人としない人では、そこから得られる感覚は全く異なる。同じヨット
なのに、得る物は雲泥の差です。

車のように何かの役に立つなら、それでもOK、でも、何の役にも立たないヨットを、どうにかしよう
と思うなら、挑戦し続ける事が大切ではないかと思います。しょっちゅう乗れば、それが挑戦にな
る。乗っていれば、何かがある。そのきになりさえすれば、誰でもそう感じるでしょう。生きている
だけで挑戦になるのと同じです。それを少しづつ、自分のレベルで続ける事が挑戦であるし、それ
が無い限り、ヨットは持っているというだけの、所有感だけになるし、それさえも、やがては、失われ
最後はやっかいものになってしまう。

じっと待っているだけでは、何も起こらない。自分から行動しなければ何も得られない。行動すれば
トラブルが起こる。でも、このトラブルを乗り越えた時に、喜びがある。多少のやっかい事はあって当
たり前です。人のする事は不完全です。必ず何かある。でもあって当たり前で、それが自分に相応
しいレベルのトラブルで、全てが完璧なら、何も挑戦する必要も無いし、しても何も感激は無いでしょ
う。ヨットを百倍楽しむ方法は、挑戦する事ではないでしょうか。多くの方々に挑戦して頂きたいと
思います。セーリングという奥の深い挑戦は、一生飽きる事は無いと思いますよ。

ここで言うセーリングのノウハウなどは、本当は二の次です。大切な事は挑戦ちようとする気持ちで
はないでしょうか。挑戦という言葉がまたいけません。世間的にすごい事である必要性は全く無い。
初めてヨットに乗った時、ただ動いていたという事でも充分私には挑戦でした。

次へ      目次へ