第三十九話 シンプルライフ

昔、シンプルライフという事葉が流行りました。ところが実際は世の中は複雑になる
ばかり、あらゆる物は機能がたくさん付加され、それを使いこなすなんて事は至難
の技。分厚いマニュアルも読む気さえおこらなくなる。車はコンピューターで制御さ
れ、携帯電話の機能たるやわけわかりません。全てを使いこなせないものの、確か
に便利になった事は事実です。それはそれで否定するつもりも、拒否するつもりも
無い。でも、たまに自然の中に入ったり、キャンプしたり、温泉につかったり、海辺の
ホテルに泊まったり、そういう事にほっとする。高機能の車を運転していても、時に
自転車に乗る気持ちの良さはどうだろう。スポーツは自分の体を動かして行う、基本
的な動作、それが清清しいのは何故か?テレビゲームでいかに何かをしようが、そ
れとは格段の違いがある。

結局、便利さ、快適さは文明によってもたらされるかもしれないが、根本的な快感は
シンプルさの中にある。だから、シンプルな事を自分の体を動かしてやると、肉体的
なしんどさはあるかもしれないが、その分、違う次元の面白さを味わう事ができる。
コンピューターでは味わえない快感を味わえる。そんな事は誰でも解っているが、
実際は何かをしようとすると、そこに便利さを求めてしまう。

ヨットにも確かにそういう事が言える。便利さは確かに良いが、一方で、便利がもたら
すが故にシンプルさが失われ、何もかもを複雑にしてしまう。複雑にすればする程、
専門家が必要で、自分がそうでは無いと、そこから少し離れてしまう。でも、幸いヨット
はまだまだシンプルな乗り物です。自分の手で舵を切り、波の感触が伝わる。自分の
手でセールを上げて、シートを引き、その反応が体に伝わる。実に感じるスポーツなの
です。人は頭で考えるという事をしょっちゅうやっていますが、複雑であればある程、
頭を使い、でも、頭で面白いと考えるものでは無く、感じるものです。

ヨットは頭を使う知的遊びでもあるし、そして出た結果は体で感じる事ができる。その
感じた事は頭脳に伝達され、再び、頭を使い、体を使う。感じて、考え、また感じる。
それらがシンプルであればあるだけ反応はダイレクトであり、より多くを感じる事ができ
る。結論はできるだけシンプルが良いのです。自分が許容できる一杯のシンプルさが
良い。そして、できればその許容範囲を広げていければ、その分感じる事は多くなる。
感じれば、感じる程、人は癒されるのではないかと思いますね。だからシンプルが良い

せっかく海に出るのに、そこを複雑にしてしまう事は無い。達成感を求めるのは、日常
の社会と何ら変わらない。売上を達成する。何かを手に入れる。日本一周をする。
それらがいけないわけでは無いのですが、それらは結果を求める行為です。結果を
求める意識が強ければ強い程、その過程は軽視されがちです。でも、結果はあっという
間に色あせてしまう。そして次の結果を求めていかなければなりません。過去の結果
は何十年の長い期間のスポット的思い出になる。でも、人が最も記憶にあるのは結果
に至るプロセスではないかと思うのです。結局、最後はそういう事しか残らない。

それで、ヨットはプロセスを楽しむものだと思います。どんな風にセーリングして、結果
どこかにたどり着くが、そのプロセスの波の感触や風の感触、自分の肉体的感触が
もっともシンプルに感じられるものです。だから、ヨットはシンプルにセーリングを楽しむ
という行為が最も楽しめると思うのです。シンプルヨット、シンプルセーリング、シンプル
ライフ。最高に癒されると思いますよ。

前にも書きましたが、ヨーロッパで完全オートマチックのヨットができましたが、これは
ボタンひとつ押せば、セールの展開からトリミングまで全てコンピューター制御によって
オートマチックで操船できるヨットでした。確かに便利ではあるが、便利という快感はある
かもしれませんが、感じるものは少なくなる。少なくなる分面白みにも欠けてくる。ヨット
は風や波を感じただけより、そこに自分の操作が入ってこそ面白いのです。ボタンひとつ
押しただけでは面白くも何とも無い。

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