第三十三話 オー、ミステイク


      

10月から消費税が上がるのはほぼ決定の様です。このデフレ、しかも20年以上に及び、しかも、過去にも苦い経験をしたにも拘わらず、また増税とはこれ如何に。これは間違いなくミステイクに違いない。

アメリカからMMTという現代貨幣理論なるものがやってきた。それによると、これまでの経済に対する考え方が根本的に違う。これを聞いたらぶったまげる。これが正しいとなると、これまでのやり方は完全にミステイク、頭脳明晰な人達がよってたかって考えたやり方がミステイク、信じがたい様な事が起こるかもしれない。

ここは経済を論じる場ではありませんので、これ以上は申しませんが、世界がみんな間違うという様な事がこの現代でもあるのか? 世界の頭脳がやっている事だから、我々はそれが正しいと思うが、それがミステイクだったとしたら?考えただけでも恐ろしい。政治家も官僚も経済界もマスコミも、従って我々も、みんなでミステイク。失われた20年は戻ってこないが、これから取り戻す事はできる。

自分で考えるという事は非常に大事な事、どうせ難しい、解らないと大勢について行くのが安全かと言うと、そうでも無い様です。そこには、大勢だからこそ大きなミステイクになる可能性がある。そのひとつが居住性主義です。果たして、それが楽しかったのか?そこに費やした時間は充実していただろうか?

ヨットは寛ぎの場としての役目だろうか、それとも、躍動的な遊びの場だろうか?大勢は居住性重視だったが、果たして正しかったのだろうか?ヨットはヨットならではの機能を遊んだ方が良いのではないか?少なくとも違う道があったのでは無かろうか?そんなMMTならぬ新しい考え方が生まれて来た。現代ヨット理論?

これまでヨットは自宅の快適性にどんどん近づいてきている。それはヨットとして正しいか?ここに正しいも間違いも無いが、居住性を高めるにつれて、ヨット本来の機能が薄れていく。快適居住空間を求めるなら家に居れば良い。それがヨットだから良いんだと言うなら動く事が前提にあるが、快適なもの程動いてはいない。まして居住もしていない(日本ではですが)。居住性は旅を前提とした居住性であるべきだったのではないか?みんなで間違えると解らなくなる。

クルージング艇はついに上の写真の様なカタマランに及んできた。快適居住空間の極致。ここまで来るとさすがにピークは近いと思ってしまう。

海に出れば、飛沫を浴びる事もあるだろう、暑い事もあるし、寒い事もある。エキサイティングになったり、スリルがあったり、ヨット遊びというのは本来はそういう様々なアウトドア感覚を味わう事が目的では無かろうか?自分で考えて、学び、進化し、それで海とヨット、そして自分との関係を獲得していく。それで海という世界が自分のものになる。そういう世界を求めたのでは無かったか?だったらセーリングしよう、旅をしよう、レースも良い。本気で遊びましょう。それが正しい現代ヨットの遊び方では無かろうか?どんな使い方であれ、本気で遊べるなら、それは正しいと言えると思います。ヨットはあくまでプライベートですから、個人の考え方ひとつでどうにでもできます。

居住空間が要らないとは言いません。しかし、それは旅を前提にした快適性として見るべきではなかろうか?旅をしないのなら、しても限定的なら、居住空間よりもっと優先すべき事があるのではなかろうか?

次へ       目次へ