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第八十二話 探求の薦め


      

たまには写真の様にひとりでセーリングに浸るのも良いもんです。最高のリラックス感を覚える時もある。リラックスしつつも頭は何かを考え、感覚はセーリングを繊細に感じているのかもしれない。否、何も考えていないかもしれない。どちらにしたって感覚は全開です。感覚を閉じる事はできません。

クルージングの乗り方は旅する事が目的ですから、その旅をより楽しむ為にあらゆる手段を効率的に使います。一方、セーリングの目的はセーリングを通じて様々な感覚を味わう事だと思います。ある特定のスピードで快走すると気持ち良いのですが、そればかりでは無く、セーリングの目的はあらゆる感覚をセーリングから掘り起こして、その感覚を意識レベルに上げ、味わう事だと思います。そうする事によって、快走はより一層強調され、あらゆる感覚のひとつひとつがより深く感じられる様になると思います。

その為に微軽風から強風まで、いろんな試行錯誤をして行く事になり、ある特定のいわゆる良い風だけを期待する必要が無くなる。そうなるとその日のその風をそのまま味わう事ができる様になって、毎回気持ち良くセーリングができるようになれる、理想的にはですが。でも、多分より多くの風の状態を受け入れられるようになると思います。

それじゃあ、微軽風のセーリングはどうするか、強風時のセーリングはどうるかとその対応の仕方を準備しておかなくてはなりません。それがノウハウになります。ジェネカー、コードゼロ、そもそものセールの種類、或いは操作、風の逃がし方、逃がす量、リーフ等々。これはセーリングの探求に他なりません。こういうセーリングのノウハウを身に付ければ付ける程、より多くの感覚を味わう事ができる事になります。

セーリングはできるできないの話では無く、どれだけのノウハウを身に付けて、どれだけの味わいを得るかが究極的な面白さでは無かろうか?たまたま走った7ノットや8ノットと、いろんな事を身に付けてきた人の7ノットや8ノットは、これまた違う味わいがあるのだろうと思います。だからセーリングに終わりはありません。それは自分の感性の進化に終わりが無いからですね。結局、セーリングの探求とはセーリングそのものに深さがあるのでは無く、自分自身の深さをセーリングを通じて味わっている事になります。

もし、セーリングが面白く無かったら、それはセーリングでは無く自分自身が面白く無い奴なのです。と言ってもそれはセーリングと自分自身の感性がマッチしていないからです。ならば、マッチする処へ行けば良いというだけの話です。行為と自分自身がマッチしていれば、探求という試行錯誤によって必ず面白くなる。でも、探求するまでは気づかないかもしれません。

セーリングの探求はデイセーラー、でもクルージング艇でやっても良いわけで、探求の時はシングルセーリングが最もやり易い。或いはできるだけ少ない人数で皆の意識が同じ方向でなけれならない。その点レースは自然とそうなります。ところがレースは今良い感じだったとしても方向転換しなければならない時もある。
同じセーリングじゃ無いんですね。


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