第七話 デイセーラーセーリング


      

 
セーリングそのものを味わおうという提言の基にデイセーラーが造られた。それまで、セーリングはレースの為であり、クルージングの為であった。しかし、どちらもセーリング技術は語られても、セーリングそのものの味わい、フィーリングを重視したものでは無かった。

セーリングはより速く走る為、安全な航海をする為、物理的変化は語られても、感覚的変化を味わおうという意図はあまり無かった。しかし、デイセーラーが目指したセーリングは、セーリングという流れの中から、あらゆる変化に伴う感覚を味わう事を目指し、それはスピードも含むし、安定性、レスポンス、滑らかさ、等々あらゆるセーリングの要素を網羅し、それらは物理的変化のみならず、むしろ感覚的変化を重視する。

つまり、セーリング技術だけでは無く、乗り手の気持ちが伴うものでなければならない。むしろ、技術以上に乗り手の精神状態の方が重要かもしれない。集中力を伴ってセーリングするなら、より多くを感じ取る事ができるし、自分の気持ちがどういう状態にあるのかに応じたセーリングを味わう事になる。

セーリング技術のレベルやヨットそのものの質のレベルは、より良いフィーリングの為であり、最も難しいのは、むしろ、心のコントロールかもしれない。だから技術を高めて、頭脳をより回転させて、それが感覚を引き上げる事になるのではなかろうか?

無我夢中という言葉がありますが、それこそ面白さの真っ只中に居る。自分の存在が無くなり、夢の中。それまでは、頭脳をフル回転させていたのが、何かのひょうしに、ふっと頭脳が停止して、感覚だけになった時、まさしく、セーリングという夢の中。セールフィーリングの頂点ではなかろうか?

デイセーリングは曖昧なセーリングに見えるかもしれない。何も目指して居ない様に見える。でも、それは心次第。その日がどんな風であろうが、その日のセーリングを味わってくる。それを何か特別なセーリングを期待せずに、その日のセーリングを味わおうという気持ちを自分のセーリングにする事ができたら、それで充分だと思います。もちろん、技術向上も目指します。それは気持ちもそれに伴って向上するから。

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