第67話 快適症候群

昔に比べたら、今はいろんな面で快適になりました。どこに行ってもエアコンが効いて
いますし、突然の停電なんて事もめったり無い。スイッチは押せば、ちゃんと動いてく
れて、自分が動かなくても、リモコン操作。調べ事はインターネットで世界の情報が即
座に入って、いつどこを歩いていても、誰とでも携帯電話で話しもできる。

こう何でも快適になってくると、全てにおいて快適であるのが当然、快適でなければな
らないという気になってくる。電車は時間通り動かないといけませんし、相手は約束の
時間に来なければいけません。暑くてもいけないし、寒くてもいけない、何でも自分の
快適さを壊すものは許せなくなってくる。交通渋滞にいらつき、飛行機が遅れたら頭に
来る。約束を破る奴は許せないし、自分を不快にするものは許せない。全てが快適で
なければならなくなります。携帯電話の相手に電話かけて、相手が出ないだけでいら
ついてしまいます。だから、何でも快適でなければならないと思ってしまうので、快適
になるように仕向ける事になります。

快適な事は良い事なのですが、快適であればある程、快適で無いものへの苛立ちは
増大していきます。昔なら、そんなもので済ませた事が許せなくなる。何かをする時、
快適で無い事が必ず出てくる。快適症候群が度を越すと、ちょっとした不快が全てを
ぶち壊す事にもなりかねません。

ところが、快適の中だけに居ると退屈になってくる。刺激がほしくてちょっとした冒険も
したくなる。冒険は快適であってはならないのです。快適は冒険にはならない。しかし、
快適で無いものへは我慢できない。矛盾しています。

ちょっとした冒険を求めて、ヨットにチャレンジします。でもヨットは快適ばかりでは無い。
冒険ですから当然です。ところが冒険の中にも快適を求めますから、快適な空間、快適
な装備を求めます。ファーラーを付けて、電動ウィンチを付けて、快適な操作を求め、
エアコンを設置して快適なキャビンを求め、電子レンジや冷蔵庫を求める。夏は暑いし、
雨も降ったりしますので、ドジャーを付けて、ビミニトップを付ける。はたまたスイッチひと
つで全てをコントロールできる物まで造られた。でも、快適であればある程、冒険のわく
わくした気分は無くなる。どんなに快適な装備をしても、天候だけはどうにもならなかっ
た。自然は人間の思惑を超えて、日曜日に雨が降り、風は強くなったり、全く吹かなか
ったり、台風もくれば、太陽はぎらぎら照りつける。これだけは文明の利器でもどうしよう
もコントロールできない。でも、全てをコントロールできるようになったら、もはやチャレンジ
では無くなる。退屈で仕方が無くなる。

エベレストの頂きにヘリコプターで降りついたら、快適かもしれないがエキサティングでは
無い。完全オートマチックヨットで、冷暖房完備、波の揺れも全く感じないような、そんな
ヨットに乗ったら快適かもしれないが、チャレンジでは無い。つまり、ヨットを始めたチャレン
ジの心は全く満たされないばかりか、退屈なものになってしまう。そうなると、また別の
チャレンジに移行していく事になります。快適かもしれないが、全く楽しくは無くなる。

結局、楽しさを求め、始めたヨットは、快適さを求め、それが達成されればされる程、退屈
になるという矛盾をはらんでいる。だから、快適さを求めてはいけないわけでは無いので
すが、どのへんまで快適さを求めるかにかかっている。どこまで不快さを許容できるかに
かかっています。その許容範囲が大きければ大きい程、チャレンジ性は高くなり、これが
高ければ高いほど、つまり自分の許容範囲が高いほど、楽しさも大きくなる。

文明は快適をもたらすが、楽しさは快適さの中には無いと思うのです。快適であればある
程、不快の時は不快が大きく感じられるようになる。だから、あれはこうでなくてはならな
いと要求が大きい程、楽しさを失っている。

できるだけシンプルにする。このできるだけというのが、自分が許せる範囲だけシンプルに
する。その許せる範囲が大きい程、本当は楽しさが増えてくると思います。確かに、こんな
に暑いとエアコンほしいなと思います。エアコンあればどんなに快適だろうかと思う。でも、
快適であっても楽しくは無いのです。快適に過ごしたという時間があるだけです。もう少し
大きいと楽だろうなと思います。でも快適に過ごしたいなら陸上の方が快適なのです。
快適にしようと必死になり、快適になると飽きる。やることが矛盾しているのです。ヨットは
チャレンジ性を残しておかないと飽きてしまいます。でも、不快ばかりでは嫌になる。この
微妙なさじ加減がどれだけ楽しめるかを決める。全ては自分の中にある。

ヨットをエキサティングに楽しむには、チャレンジでなければなりません。チャレンジは外洋
に行かなければならないわけでは無く、目の前でも充分チャレンジとなる。それはどうにも
コントロールできない自然をそのまま受け入れて、それに合わせて自分がヨットを操船し、
味わう事にある。つまり、ヨットはセーリングこそがチャレンジなのです。何故なら、自然は
どうにも快適にコントロールできないからです。コントロールできないものの中に入る事が
チャレンジではないでしょうか。

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