第七十六話 バーチャルとリアル


      

面白さはもはや必要無い?便利と快適さえあればそれで良い。それが進化の象徴だ。それに、面白い事ももちろんあると言う。テレビや映画を見て面白い、小説を読んだら面白かった、スポーツ観戦も面白い、感激する事さえある。でも、これって全部バーチャルなんじゃなかろうか?

進化はますますバーチャルな世界を創っていく。そして、我々は無意識のうちにどっぷりと浸かって、快適やら、便利やらにはまっていく。この恐ろしさは自分では動かなくなる、動いてるつもりだ。すると主体的に考える事もしなくなる。そうなると、簡単に誰かに操作されてしまう。全ては誰かが事前に用意したもの。

社会がますます進化するとシステムが出来上がっていく。もちろん誰かが意図的に用意するものだ。そして、快適と便利は善だと信じこまされているから、それらを求めてしまう。でも、実体験から来る面白さが減少して行っていないだろうか?何も拒否するつもりは無いが、そのバランスを意識した方が良いんじゃなかろうか?

昔はもっとヨット、ボートの稼働率は高かった。みんな楽しんでいた。現代のヨット、ボートの方が遥かに便利で快適だ。なのに稼働率が低いなんて考えられない。ヨットよりボートの方が便利だからボートに行き、そのボートも実際は稼働率は低い。多分、面白さじゃ無くて、便利と快適ばかりを求めるからではなかろうか?ヨットよりボートの方が便利なんだから、ボートの方が面白く無いのは当たり前だと思うが?便利過ぎて創造性が無い。

遊びには面白さが欠かせない。遊びは想像力を掻き立て、創造性を育てる。だから面白い。バーチャルの世界は、それを失わせるのではなかろうか?便利や快適は良いが、でも、それらはバーチャルな世界を増幅させる。それに対して、実体験の面白さは快適ばかりじゃ無い。だから面白いのであります。

という事で、実体験としてのセーリングを楽しむ。風を受けて、潮かぶって、走らせて、クールに、エキサイティングに、スリルや退屈感、穏やかさから緊張感、たまにはしびれるようなセーリングも味わいたい。海に出るだけでも良い。遊びには、便利は要注意かなと思います。車で行った方が便利なのに、自転車で行こうとか、歩いて行こうとか、そう思う時があります。それって遊びでしょう。

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