第七十一話 ヨット文化


      

数は少ないとは言え、ちゃんと日本にもヨット文化がある。ただ広く定着とはいかないものの、それなりの数十年という歴史を経験してきた。ただ、日本のヨット文化の核って何だろう? これがどうも判然としない。今のヨット離れの傾向はその核無き文化による処が大きいのではなかろうか?

旅にあこがれたが暇が無い。キャビンに憧れたが別荘としては使いきれない。レースも夢中になる程でも無い。気が付けばたまにピクニックか? でも、考えてみると最も稼働率が高いのはやっぱりデイセーリングではなかろうか? ところが、そのデイセーリングにたまのピクニック程度の価値観しか置いて来なかった。最も気軽で、最も親しめる近場なのにそれ程重視してこなかった。手軽だからこそかもしれないが。

以前、あるオーナーが湾内から出たこと無いと少し恥ずかしそうに言われた事を思い出す。それはデイセーリングを軽んじた価値観の表れでもある。しかし、それは違う。近場だからこそ誰でも頻繁に、気軽にできるからこそ重視すべきではなかったか。それを旅やレースより下に見れば、楽しめるはずが無い。

もっとデイセーリングに注目して、その可能性を探るべきではなかろうか?単なるピクニックに留めず、エキサイティングなスポーツとしての価値感にまで引き上げる。デイセーリングは決して軽んじられるスタイルでは無く、旅にもレースにも劣らないスポーツとしての確立です。

そうなるとヨットとの一体感を得て、自由自在に走らせる人達が必ず出てくる。それを見たら若者だって興味が湧いてくるだろう。若者が居ないのはヨットが面白そうに見えないからだ。美しいヨットを美しく、カッコ良く、自由自在に走らせる。そんな方々が増えていけば良い。

日本人は頭良いし、勤勉だし、、新しい事を知る喜びもあるし、さらに繊細な感性もある。そういう国民性は単純で享楽的な遊びだけでは満足できない。毎回ぼ〜っと過ごすなんて無理。だからこそスポーツを核としたデイセーリングは日本人にとっても合う。もちろん、ピクニックもやる。宴会もやる。でも、日本のヨット文化の核はスポーツセーリングだ。それは、今走っているセーリングに意識を置く。それは既にスポーツ、意識さえセーリングに置けば、より多く気づき、気づくから操作したり、疑問に思ったり、だから上手くなれる。そうしたらやがて自由自在になれる。美しいヨットを美しく走らせる。そこに憧れる。

もう何年も前になるが、あるプロはデイセーラーをピクニックヨットと言った。解ってないな〜。まだ日本には新しいヨットコンセプトだっただけに無理からぬ事だったのかもしれないが、ちゃんと見抜いて欲しかった。その点、米国ではデイセーラーをセーリングに対する新しいアプローチの誕生だと高く評価した。やっぱりヨット文化の成熟度の違いだろうか?

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